ざわざわと落ち着かない廊下を通り、靴箱から靴を取り出す。
向かう先はテニスコート。 今日は、月に一度行われる校内ランキング戦の日だ。 隣で騒いでる堀尾達を無視して、部室のドアノブへと手を伸ばす。 ロッカーから出したウェアに着替え、FIFAと書かれた帽子を被り直した後、またドアノブへと手を伸ばし、外へ出る。 しばらくテニスコートの近くで柔軟していると、集合と誰かが叫ぶ声が響いた。 テニス部員は色々な歩調で顧問の周囲に集まり始める。 のろのろ歩いてる奴も、普段通り談笑している奴も、似たような表情をしている。 (この後の試合を楽しみにしてるの丸分かり。) 「わしからの説明は以上だ。」 周りの奴らを観察することで顧問であるおばさんの話を適当に流していると、おばさんの口から話が終わりであることを知らせる台詞が発された。 次に、部長がお決まりの台詞を口にする。 「各ブロックの第一試合に当たった者は速やかに指定されているコートに入れ。それ以外の者はコート付近で見学。以上だ。」 部長の声が途切れると同時にどこかへと散っていく奴らを尻目に、軽く二度目のウォーミングアップをし始める。 このコートの第一試合は、俺と海堂先輩の試合だ。 「では、Aブロック第一試合を始める。」 この試合の審判らしい大石先輩の声に、帽子を深く被り直す。 さあ、始めようか。 「バイオリズムが狂っているのかい?」 ランキング戦が終了してから二日後。図書館。授業後。 この三つの条件が揃った場所にいる俺の目の前には、何故か同じ部の先輩。 「それとも勝つ気がなかったのかな。」 「立ち読みしないで下さいって文字、見えないんすか?」 「おっと、これは失敬。」 申し訳なさそうな声で言いつつ閉じた本を大事そうに持ったというのに、尚も話そうという気満々であるこの人物にヘキエキする。 借りたい本が見つかったならさっさと借りてどっかに消えればいいのに。 「朝練、昼放課、校舎内での移動、午後の部活等々をしている君の集中力が、俺のデータによると最近急速に落ちてきているんだが。 ―――― 君自身は何故だと考える?」 「ここ、お喋り禁止なんすけど。」 「周りの人に迷惑掛けてないからいいじゃないか。」 確かに今現在ここにいるのは俺達だけだが俺が迷惑だ。 と言いたいところだが、あえて発言しないことにする。 目の前にいるこの人が俺の発言を分析しだすのは目に見えているし、第一、言ったところで会話を止めるような男ではないことは身に染みて分かっている。 「・・・興味深いな。」 素顔をさらすことを完全に阻んでいる眼鏡に手を当てながら、驚きを少し含んだ声を先輩が出した。 「越前が執着するとは。」 「・・・・・・何言ってんすか?」 それもいきなり。 当然の疑問が浮ぶが、テニス馬鹿の先輩が言うことだ。 さっきの言葉も今の言葉も、テニスに関することなのだろうと予想は付く。 けど、集中力だの執着だのとヒントになってないヒントを言われたところで、なんのことだか理解することは出来ない。 「分からないなら教えてやろうか。」 「いいっす。」 あんまり先輩の言うことを聞いていたくないので、堂々と横を通ってワゴンへ近付き、本の整理をすることにする。 けれど、俺の「もう話はやめたい」という無言のアピールも、この先輩にはまったく無意味だった。 「最近転校してきた女の子がいるだろう。」 先輩がいつものように淡々と口にした転校という言葉に反応し、一瞬手を止めそうになる。 が、精神力でなんとか手を動かし続け、目の前にいる油断ならない男の次の言葉に耳を傾けることにする。 気付いていないと思いたいが、いつでも冷静な人物の心中は容易には覗けない。 「越前の隣のクラスの、竜崎桜乃ちゃん。」 サクノの名を出した先輩の口が、ゆっくりと歪む。 「俺はあの日、朝練の前に学校の敷地内でお前を見た。」 この先輩が話しかけてきた時からゆっくりと体中を這い上がってきていた嫌な予感が、とうとう体の外に漏れていくような気さえしてきた。 どうやら俺は、すべてを放って逃げ出したくなるけれどそれも出来ないような立場に、気付かぬうちに追い詰められていたらしい。 「なのに越前、お前は遅刻したよな。」 「別に何もなかったっすよ。」 相手が聞きたいことを感じ取り、問われる前に答えを吐き出す。 別に何も起きなかったのだと。 「何もなかったのに、わざわざ手塚に叱られることを選んだのか?」 「センパイの見間違えじゃないんすか。」 いつの間にかカウンターに背を預けていた先輩は、わざわざ首をひねってまで俺を見、少し意地悪い顔のまま笑った。 「本当に無自覚みたいだな。・・・興味深い。」 「・・・さっきからなんなんすか。」 「何だと思う?」 (・・・策士め。) むかつくことに、親父や母さんで鍛えられている俺でも、テニス部の先輩達相手の口論だと負けることが多かった。 なかでもこの人相手だと特に分が悪いと感じるのは、この独特の雰囲気のせいもあるのだろうか。 「そろそろ俺は帰ろうかな。」 言うが早いか、今まで何をしても帰る気配をまったく見せなかった先輩はカウンターから離れた。 理由は分からないが、満足したらしい。 (ならさっさと帰ってもらうに限る。) 図書委員になったことをこんなに疎ましく思ったり喜んだりしたのは、今日ぐらいのものだろう。 差し出された本を受け取り、無言で貸し出しカードに判子を押すと、カードをまた元の位置に戻してセンパイの前へと突き出す。 上の方から微かに聞こえた苦笑にむっとなる。 その瞬間になんか言われたような気がしたが、面倒臭いので聞き返したり考えたりすることをやめた。 礼を言って本と一緒に図書室のドアへと向かう長身を、なんとなく見送る。 「ああ、迷惑ついでに言っておこうか。」 半分以上閉めていたというのに、再びドアを全開にしてから先輩が俺に語りかけてきた。 予想していなかった行動に驚くが、平静を装いつつ返答する。 「なんすか。」 「明日桜乃ちゃんに会うから。」 「・・・・・・は?」 「シラを切られ続けてるけど、一応断っておくよ。」 呆然としている俺を尻目に、先輩は笑った。 それは、なんというか、いつもの笑い方じゃなくて。 見た瞬間の気持ちを一言で言おうと思えばこれですむ。 最悪だ。 五 + 戻る + 七 |