サクノは、俺の通う学校に通うことになった。
アイツが学校に通うこと自体は、金を出す母さん達がいいなら別にいいことなので、反論しようという気にもならない些細なことに過ぎない。 が、アイツが俺と同じ学校に通うことや、母さんが最初から決定事項であるかのようにきっぱりと言い放った 『サクノちゃん極度の方向音痴みたいだから、毎朝一緒に行ってあげてね。』 という言葉は、全力で拒否したかった。 以前から娘が欲しいと公言していただけあって、サクノが来てからというもの、母さんの笑顔を見ない日はない。 それだけならともかく、ほとんど毎日どこかに連れて行っては大量に物を買ってくるのはどうにかして欲しい。 (昨日はデパートへ連れていってたな。) 紙パックの牛乳を飲みながら、昨日のことを回想してみる。 お祝いだとかなんとか騒いでたから、学校に行くことが決まったお祝いを買いに行ったってとこだろう。 「あ、そうそう。リョーマ、サクノちゃんにはちゃんと優しくするのよ?」 あれだけ買い物に出かけてよく飽きないものだと半ば感心しつつ弁当の残りだろう卵焼きに箸を刺した途端、母さんが俺に背を向けたまま当然のように言葉を投げてきた。 言われた俺は、なんでと思わず呟く。 「リョーマはお兄ちゃんでしょ。」 なんでこの人はこんな簡単に受け入れてんだろ。 瞬間的に疑問が脳に浮んだが、口には出さず沈黙する。 「分かった?」 子供を諭すような口調で言われ、俺は何を言うべきなのか迷った。 なので、箸に刺したままだった卵焼きを取り合えず口に運び、制限時間を延ばすことにした。 不快感を引きずったまま、いつも通りの朝、いつも通りの通学路をサクノと歩く。 桃センパイあたりにからかわれそうだからサクノと登校するのは嫌だったが、朝錬が始まる時間には人が少ないし、学校に着く前に距離をおけば誰にも目撃されない確率が高いことに気付いて、別にいいかと思うことにした。 しかし、遅い。 「・・・遅いんだけど。」 「ご、ごめんなさい!」 俺の言葉にびくりと肩を震わせたサクノは、慌てて歩調を早くした。 黙って歩きながらやっと追いついてきたサクノへとちらりと視線をやると、絵に描いたような落ち込み方をしている姿が目に入る。 (・・・どうしろっていうんだよ。) 俺は遅いことを怒っているのではなく(まあ気にしてないといえば嘘になるけど)、距離があくとどこかに行きそうになるから忠告しているだけだ。 けど今の反応を見る限り、サクノは絶対俺が怒ってると思ってる。 (・・・・・・やっぱり俺には『優しく』なんて無理だ。) 元凶である母さんを密かに恨む。 優しくないと、怖いと思われてるという自覚はある。 じゃあ俺はどうすればいい。 どう接すれば『ヤサシイ』? 脳内で色々と考えているうちに学校が見えてきた。 だから校門の少し前で別れようとしたが、方向音痴だと説明されたことを思い出してしまい、校門を通り過ぎてしまう。 そして、いくら方向音痴でもここからなら迷わないだろうと判断出来る場所まで連れて行き、このまままっすぐ行けば職員室だと職員室のある辺りを指で指しながら言えば、サクノは前方へと視線を向けただけで何も返事をしない。 無反応なことに苛立ち、ちゃんと聞いているのかとサクノの顔を覗き見れば、見ていることに気付いたサクノが慌てて何回も首を振った。 「あ、あああありがとうございました!」 「別に。」 サクノが案外平気そうな顔をしていることを確認し、帽子を被りなおした俺はテニスコートへ行こうと足を動かした。 ・・・はずだったが、片足が宙に浮いたまま固まっていた。 「・・・? ・・・あっ、ご、ごめんなさい!!」 「・・・別に。」 真っ赤な顔で、サクノは俺を追い越して走っていく。 そして、頼りない足取りで昇降口に向かう。 俺は走っているサクノの後姿をイチベツして、今度こそテニスコートへと足を向ける。 けど、視界に移るのは、迷宮に入りそうなサクノの後ろ姿。 ――― ついさっき、一瞬だけ触れられていた袖口が、なんとなくアツイ。 「何やってんの。」 「え? ・・・あ。」 振り返ったサクノの手を取って、足早に歩く。 「俺が指した方向と逆なんだけど。」 「ええ?!ほ、本当に?!」 「ホントウ。」 「あああああ・・・。」 「あんたって本当に間抜けだよね。」 サクノが落ち込む。 けど、さっきと違って重苦しく感じない。 「ホウコウオンチなんて、初めて見た。」 言った途端、自分の腕に微かな振動を感じた。 なんでと思う間もなく、原因が判明する。 俺の斜め後ろにいるサクノが、笑っていた。 「・・・何笑ってんの?」 「あ!・・・ご、ごめんなさい。」 「・・・別に。」 サクノの動きが止まる。 俺はまたやってしまったかと、はっとなってしまう。 が、覗いたサクノの顔は、予想に反して楽しそうな顔をしていて。 「・・・嫌われてると思ってたけど、嫌われてなかったみたいで安心しちゃって。」 嬉しそうな顔と声で、笑うことをやめたサクノが発言する。 その声を聞いたらなんだか急に恥ずかしくなった俺は、進行方向を見た。 「イヤミのつもりで言ったんだけど。」 そう言っても、サクノはさっきのように落ち込んだりはしなかった。 ただただ、嬉しそうに微笑むだけ。 言葉のトゲは、サクノに包まれて威力をなくしてしまうのだろうか。 俺達を包む雰囲気は、明らかに前とは違った。 居心地が悪いのは変わりないけど、この雰囲気は嫌いじゃない。 「ありがとうリョーマくん。」 俺にぺこりとお辞儀して職員室に入っていく。 そんな後ろ姿を見送る俺の頭の中で、母さんのセリフがリピートされる。 『サクノちゃんが頼れるのは、リョーマしかいないんだからね?』 それは今朝、玄関で念を押すように言われたセリフだった。 袖口が、またアツクなった。 四 + 戻る + 六 |