自室に戻る途中、廊下で長い髪が揺れるのを見た。


 窓から外をぼんやり見ているそいつの後ろ姿に、密かに驚く。
 うちには母さん以外に女はいない筈だと。
 そう思い不審に思った後、見慣れない後姿の正体を思い出す。

(・・・そういや一緒に住んでるんだった。)

 親父の、隠し子。もとい、俺の妹。
 つい最近姿を現したこいつは、母さんの提案によりここに住むことになった。
 俺ははっきり言って反対だったけど、母さんの言うことには反対できない。
 ましてや、親父も母さんの意見に全面的に賛成しているのだから、俺の意見が通ることは無いだろう。

(・・・・・・煩わしい。)

 今日授業中に覚えたその単語は、俺の心境を的確に表していた。
 こいつがいることは、俺には煩わしいだけだった。
 家の中に他人(しかも女)がいるだけでも煩わしいのに、ちょっと無視しただけで親父や母さんに「優しくしろ」だのなんだのと喧しく言われる。

 ――― 煩わしい。

(家族ごっこがしたいなら、勝手にすればいい。)

 俺は心の底からそう思っていた。

 けれど。
 けれど母さんは、親父は、彼女は、そうとは思っていなくて。

 こいつが偶然を装うためにここに立っていることは知っていた。
 やり始めたのはいつなのか、正確なことは俺には分からないけど、少なくとも俺が気付いた日から一日たりともここで見なかった日はない。

 風邪を引くかもしれないのに、だ。

 それでも俺はこいつと一緒に住んでいることを忘れる。
 家の中にいつの間にか増えている女用のものを見て辛うじて思い出すくらいだ。
 けれどこいつは、そんな俺に話しかけようとする。

(・・・はっきり言って時間の無駄。)

 心の中できっぱりと言い放つ。

(馬鹿な奴だと無視し続ければいい。)

 心の底から思う。
 のに、まるでここに縫い付けられたかのように動けなかった。

(なんで。)

 原因が分からないことが、このイラつきを余計煽る。
 そうやってただ無駄に時間が経過していく中、ふと視界に愛猫の姿を確認した。
 俺の存在に気付いていないのか、愛猫はあいつの足元へと一直線に歩いていく。
 そして一声ほあらと鳴いた。

「カルピン・・・でよかったよね?おいで。」

 カルピンの鳴き声に全身を震わせたあいつは、声の主がカルピンであることを知った途端顔に微笑を浮かべ、優しい声でカルピンを呼び寄せた。

「わ。ふわふわだねえ。」

 あいつが優しい手つきでカルピンを撫でながらそう言うと、俺の愛猫は嬉しそうに喉を鳴らした。
 ・・・浮気されてるみたいで気分が悪い。

「ほあら。」

 サクノの腕の中で、カルピンが気持ち良さそうに鳴く。
 その途端、カルピンの声に押された様に、俺の足は動いた。





 イライラしたまま、俺はベッドにダイブした。
 理由は分かっている。
 まるであいつに俺の存在を教えようとしてるようにカルピンが鳴いたからだ。

(・・・なんで原因は分かってんのに前よりイライラするわけ。)

 ここ数日の間に溜まりに溜まったイライラを押し付けるように枕に顔を押し付けてみるが、当然イライラが治まることはなく。
 いくら考えても大本の原因は分からないし、なんとなく分かりたくも無い気がして、だからもう寝てしまおうと布団を捲った。

「・・・・・・あのなぁ。」

 布団の中に体を滑り込ませようとした俺は、そこにすでにカルピンがいたことを知り、驚くよりも溜息をつきたくなる。
 カルピンはそんな俺を面倒臭そうな目で見上げ、ほあらと鳴いた。

(・・・もう何も言う気になれない。)

 なんだかどっと疲れたので、つぶさないようにカルピンを抱きかかえて布団に潜る。
 少し肌寒いくらいの気温だからカルピンの体温は丁度良かった。
 けれど、母さんが使っているシャンプーの匂いが仄かにしたことに俺は動揺し、なかなか寝付けなかった。




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