いつもなら馬鹿な声が響いているであろう居間で、食卓を全員で囲んでいた。
 木製のそれの上には、使い込んである三つの湯飲みと真新しい湯飲みがひとつ、それぞれ湯気を上げながらぽつんと並んでいる。
 リョーマは、そのひとつを掴んで口に近づけた。
 一瞬の後、彼がお茶を啜(すす)る音だけがやけに響き始める。
 空間の中に唯一の音を出しているリョーマは、お茶を飲み続けながらちらりと隣を見た。
 そしてふいに、重苦しい空気が充満しているせいか一人として口も開かずにただ座っている状態に飽きたとでもいうように、隣で体を縮こませている少女にむけ言葉を吐いた。

「ねぇ、そんなに緊張すること?」
「・・・・・・え・・・?」

 唐突に吐き出された無感情な声に、少女の体がびくんと震え、そろそろと視線が上げられた。
 そして申し訳なさそうに周囲を見回したが、問うた本人は視線が上がりきる前にまた元のようにお茶を啜り始めていたため、少女は誰に問われたのか理解することが出来なかった。
 そのため、彼女は何か言いたそうに口を二、三度開けた後、再び視線を下へと向けた。

「あー、つまり、その、なんだ・・・。」

 いつもの飄々とした調子はどこへやら。
 すっかり狼狽しているリョーマの父親 ― 越前南次郎は、さっきから大体一定の間隔で言葉にならない声を発し続けていた。
 そんな南次郎の態度をしばらく観察することに決めていたリョーマは、面倒臭くなったらしく、溜息をつきつつ再び口を開くことにした。

「結局あんたは俺の何なの?」

 一応平凡の域はでていないであろう越前家へ『嵐』を連れてきた見知らぬ少女への、単純だけれど一番目くらいに聞きたいこと。
 今度はしっかりと目線を合わせつつ、それをリョーマが問いかける。
 一方有無を言わさぬ迫力を持った声で問いかけられ、少女は体のふるえをごまかしつつ答えた。
 体のふるえだけではなく、声のふるえもごまかせるよう、ゆっくりと。

「・・・え、えっと、きょうだいにあたると、思うのですけれど・・・。」
「キョウダイ?」
「は、はははい!」

 相手の状態など気にもかけずに淡々と問いかけるリョーマについていくことができず、少女は結局どもってしまう。
 少女はその事実に落胆しかけるが、リョーマはそれさえも許さず質問を重ねていく。

「それって『アニイモウト』?それとも『アネオトウト』?」
「え・・・・・・?」
「だから、俺とアンタ、どっちが上ってことになるのか聞いてるんだけど。」
「えと・・・。・・・・・・多分、あなたの方が上だと思うんだけど。」
「・・・ふーん。」

 ということは『アニイモウト』になるのかな、と考えている少女の横で、取り合えず納得したらしいリョーマが口を閉ざす。
 結果として、居間に再び静寂が戻ってきた。
 しかしその静寂は、たった三秒で完全にぶち壊されることになった。

「・・・一応聞いておきたいんだけど、あんたは親父の浮気の結果生まれたってこと?」
「お、おい・・・っ。」

 息子の核心を見事についた鋭い質問に、南次郎は慌てた声で彼を制しようとする。
 南次郎は彼女を呼ぶにあたり、彼女に関することを、彼が知りうる限りのことは家族に事前に話しておくことにした。
 それは彼女の心を必要以上に傷つけないようにするための予防策でもあるし、自分を含めた越前家の人間に覚悟をしてもらうためのいわば準備運動でもあった。
 彼は、彼女に関することだけは、普段の彼を知っている人が爆笑してしまうかもしれないほど慎重にことを運ぼうとしていたのである。
 もちろん、彼女と越前家を取り巻く色々な事情をはっきりさせたいから少女を呼んだのだから、リョーマが口に出した質問をいずれはしなくてはいけないことは嫌というほど理解していたのだが、タイミングによっては彼女の心を余計に傷つけかねない。
 だから南次郎は、臆病だと思えるくらい慎重に、問うタイミングを計っていたのである。
 しかし彼の気遣いも、息子によってがらがらと壊されてしまい、南次郎は慌てた。
 けれど、ここにいる誰もが気が弱そうだと思っていた少女は、越前家の人々へむかって、息を止めてしまうほどに力強い声で答えを返した。

「私は人口受精で産まれたんだと母に聞かされました。昨日その証拠も見せていただきました。なので、南次郎さんが浮気をしたということでは決してありません。」

 醜態をさらしている南次郎に冷めた視線をむけていたリョーマは、凍ったように動けなくなってしまった。
 原因はリョーマ自身にも分からなかったが、今は少女の話を聞くことの方が大事なような気がして、耳へと意識を集中させることにした。

「だから本来、私がここへ来ることは国の法律で禁止されている筈なんです。」
「でもあなたは、今、ここにいる。」

 力強い声ですらすらと自分の知っていることを喋っていく少女に、今まで一言も口を挟んでこなかったリョーマの母親 ― 倫子 ― が、何も言わなくなってしまったリョーマの代わりとでもいうように、静かに、確かめるように言葉を出した。
 倫子に事実を告げられた少女は、ただ悲しげに俯く。
 そしてまた、この空間に沈黙が降りてきた。


「ねぇ、ここで一緒に暮らさない?」
「・・・・・・え・・・?」

 しばらく音がなかった部屋に倫子のはっきりした声が響いたのは、どのくらい経った頃だったろうか。
 先程とは違って優しげな声色で話しかけられた少女は、きょとんとした顔で倫子を見た。

「私娘が欲しかったの。なのに産まれてきたのがこんな無愛想な息子でしょう?可愛いっていえば可愛いんだけど、それでも娘が欲しくてたまらないのよ。」

 だから私達の娘にならないかと、結構重要なことを悪戯を仕掛けた子供のような顔で提案する倫子にここにいる全員が呆気にとられていたが、すぐに南次郎が「それいいな」と賛同した。
 しかし、当事者である少女自身は信じられない申し出に呆然としており、何も言えない状態である。
 そんな状況でも、話は南次郎と倫子によってどんどん膨らんでいく。
 遅ればせながらそのことに気が付いた少女が、負けじと声を出す。

「で、でも、それでは皆さんの迷惑に・・・!」
「そんなん気にすることないぜ!なっ!!」

 食卓を挟んで目の前に座る息子に、南次郎が強引に首を縦に振らせる。
 その際にゴンというなかなか痛そうな音が聞こえたはずなのに、南次郎はもちろんリョーマも気にする素振りは(少なくとも表面上は)見せなかった。
 その様子に、やはりここにお世話になるわけには、と言おうとした瞬間、倫子の労わるような声が少女にかけられた。

「あなたがどうしてもというのなら無理強いはしないけれど、でも、私達はあなたと一緒に暮らしたいの。」

 それだけは信じてね、と倫子に言われ、少女の顔がみるみるうちに(リョーマにしてみれば)変な表情をかたちどっていく。
 そして次に、ぶつけるんじゃないかとはらはらするぐらい頭を下げた。

「ご、ご迷惑だと思いますが、・・・あのっ、これからよろしくお願いします!」

 再び電光に照らされた彼女の顔は、涙に濡れていた。
 そこでようやくリョーマは、少女が泣くのを我慢していたことを知った。

「おう!よろしくな桜乃!」

 桜乃と呼ばれた少女の頭をかき混ぜつつ、南次郎が叫ぶ。
 南次郎の手に、倫子の手も合わさる。

 越前家に家族が一人増えた瞬間だった。




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