「よう青少年。おはよう?」
「・・・はよ。」

 パジャマ姿ではないが、寝癖がついた状態でキッチンに現れたリョーマに、南次郎は居間で新聞を読みながら挨拶した。
 対するリョーマはそれに不機嫌さ全開で短い返事を返し、牛乳をコップに注ぐ。
 ついで、苦い顔をしながらそれを一気に飲み干して、息を吐く。

「・・・・・・で?」
「あん?」

 何事もなかったかのような顔をして聞いてくる息子に、南次郎は新聞から顔をあげて対応する。
 そんな父親に冷ややかな視線を浴びせつつ、面倒臭そうにリョーマは質問した。

「母さんはどこ?」
「菜々子ちゃんや桜乃と一緒にデパートに買い物。昼は適当に食べろってさ。」
「・・・親父と?」
「俺だってお前と二人きりで食事なんてごめんだぜ。金やるから青少年は青少年らしくどっか行って食べてこい。」

 リョーマと同じく心底嫌そうな顔をした南次郎が、猫でも払うように手の平を動かす。
 それに一瞬むっとした表情を見せながら、リョーマは視線を食卓へと移動させた。
 そこでようやく食卓の上に紙切れと千円札が一枚乗っていることに気付き、紙切れを手に取った。
 紙切れには、『リョーマの食事代(千円)』とだけ書かれていた。
 母親が父親の思考を先読みしていたのか、はたまた父親が母親に頼み込んだのかは知らないが、取り合えず千円札はありがたくいただいておくことにし、ポケットに千円札をねじりこんだリョーマはふと自分の父親の方に顔を向けた。

「・・・あのさ、昔のことを教えてよ。」

 南次郎が再び新聞から顔をあげ、いぶかしげな声を出す。

「昔のことだぁ?」
「そ。アンタと母さんが出会ったきっかけとか、なんで母さんがアンタみたいな変態と結婚したのかとか。」
「変態って・・・。お前な、尊敬すべきお父様にむかってそんなこと言うなよ。」
「サクノの母親の話とか。」

 南次郎の言葉を完全に無視してリョーマが続けた言葉を聞いて、南次郎が顔を引き締める。

「・・・それが目的か?」
「まぁね。」

 挑戦的な目が、真面目な表情になった南次郎をしっかりと捕らえる。
 南次郎は負けじと睨み返していたが、最初から話す気でいたのか、少ししてから渋々といった様子で話し出した。

「・・・俺達が会った時の話は倫子から聞いてるよな?」

 食卓の椅子に座ったリョーマが、自分の母親が以前話してくれたことを思い返しながらこくりと頷く。

「母さんがアメリカに留学してた時、同じような時期に留学しにきてた親父とカフェで偶然会ったって聞いた。」

 いつもと同じ声色で淡々と自分の記憶を語るリョーマに、やはりいつもの飄々とした声でその通りだと南次郎が返す。

「俺と倫子が初めて会ってから二ヵ月ぐらいたった頃、いつもの待合場所に倫子が連れてきたのが彼女だった。眼鏡かけたもやしみたいな女、っていうのが俺の彼女に対する第一印象。」

 一旦言葉を切ると、南次郎はなんだかとてもバツが悪そうな表情のまま、第一印象はあんまり良くなかったってことだなと付け足した。
 その声と表情があまりにもちぐはぐなので、リョーマはひょっとして照れてるのかとも思ったが、その考えをすぐに打ち消した。
 南次郎が照れているなどと、気持ち悪くて考えたくなかったから。
 リョーマの中でそんなことが考えられていることなど知らないまま、南次郎は続きを喋り始めた。

「倫子が痴漢から彼女を守ったのがきっかけで仲良くなったらしい。そういや、あの時の回し蹴りはすごかったって彼女嬉しそうに話してたっけなぁ。」
「・・・・・・・・・。」

 それを聞いてリョーマは嫌そうな顔をしたが、南次郎の方は豪快に笑い始める。
 どうやら、彼らにとってそれは普通のことだったらしい。

「渡米してきたことを不思議に思うくらい彼女は臆病だったんでな、気がつけば、俺と倫子で色々世話焼いてやってた。・・・子猫みたいな奴だから、困ってるとこ見ると放っておけなくなる・・・」
「あのさ、」

 南次郎の話は、普段よりも随分速いペースで進められている。
 口を挟む隙などないくらいに。
 だからリョーマは無理矢理会話を中断させた。
 会話をしている間に、南次郎が自分を煙に巻く気だと直感したからだ。
 聞いて欲しくないことがあるから、早めにこの会話を終わらせる気だと。
 けれどリョーマには初めて桜乃に会ったあの日から気になっていたことがあり、それを聞くまでは南次郎を解放する気などさらさらなかった。

 例えそれが、南次郎が一番聞かれたくないことだとしても。

「サクノの母親はむこうで何を学んでたの?」
「・・・・・・。」

 どうしてそれをと聞きたそうな南次郎に、リョーマはなんとなくとだけ答え、彼の父親の返事を待った。


「・・・遺伝子学だ。」

 リョーマが南次郎に向けていた視線を外した時だった。
 まるでその時を待っていたかのように、南次郎は低く小さい声で言ったのだ。
 遺伝子学、と。

 それはリョーマの予測通りの答えだった。




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