西へと通じる二階の長い通路を、二人の青年が歩いていた。
他人の家だからといって、遠慮しているふうにも、かといって我が物顔で歩いているわけでもなく、
ただ慣れた足取りで目的地へと向かう途中、一人が立ち止まる。
面白そうに目を細め(同僚曰く「いつものこと」らしいが、それでも彼にしては珍しい細め方なのだ)、
庭を見つめている。

「ねえ、乾。いいものが見えるよ」
「ん?なんだ」

呼ばれた青年、乾の方も立ち止まって、寄ってくる。

「あれは竜崎さん」
「それに越前もいる。ツーショットだね」

くすりと青年、不二が微笑む。

「どうやらテニスをするようだな。これは興味深い」
「うん、共感。と言っても、越前に向けてだけどね」

手摺に肘を掛けて、その上に顎を乗せると、不二は邪気のない微笑みを浮かべる。
しかし、これが彼の常套手段なので見かけに騙されてはいけないことは
この屋敷の暗黙の了解になっていた。
つまり、邪気がないからといって、何も企んでいないとは言えない。
その横で、どこからか乾がノートを取り出して、庭の二人に目を光らせた。

「いいデータは採れそうかい?」
「もちろんだ。どんなことでも使い様によっては重要な情報になる」
「是非そうしてほしいね。越前が慌てる姿、ちょっと見てみたいよね」

人の良いにこりとした笑顔で、いたずらっぽく不二は言った。
そして、密かに戦慄した乾が不二のデータも採ったことは、本人には知らないことだった。







       ◇◆◇◆◇◆◇







「どーしよう………」

コートの向こう側に立ったリョーマを見ながら、内心冷や汗をかいて、
このどうしようもない状況に桜乃はぼやく。
なぜリョーマにテニスを教わることになったのか、未だに理解出来ない。
気付いたら話が進んでいたとしか考えられなかった。
でも、まあ、考え様によっては教われる機会というのはなかなかないので有り難いこととも言える。
しかし、自分でも分かるほどの運動音痴具合をリョーマに見られるのは苦い。
しかもこんな姿で。
自分の格好を見下ろし、ため息を付く。

メイド服………無謀だ。

「あの、リョーマ君本当にやるの?」
「やる」

簡素な、それでいて選択権を感じさせない返答だった。


(うう………)


心で泣いて、桜乃はボールを地面にバウンドさせる少年を見据えた。
シュッと空を切る音がしてボールが高く上げられる。
その軌跡を追って、リョーマのラケットがボールを打った。
それは極軽く、彼女が返せるくらいの優しいフォームなのだが、
動転している桜乃はとにかく打つことに集中していて気付かない。
バウンドしたボールを「えいっ」というかけ声と共に打ち返す。


しかし

「………ナイス、コントロール」


リョーマの低い、それでいて感情のない声が、しんとしたコートに響く。

「うう、ごめんなさい」

なんだか誤るしかない。
ボールはリョーマに届くことなくへろへろとネットに当たって桜乃の位置まで戻ってきた。
拾い上げて躊躇いがちにリョーマを伺う。
リョーマはじっとこちらを見つめるだけだった。

「あ、の」

居たたまれなくなって遠慮がちに声をかける桜乃にリョーマはため息を付く。
それにびくっと肩が震えた。


(あ、呆れられてるよ〜、ひーん)


泣きたい気持ちになる。
身を固くした桜乃に、リョーマはもう一息付いた。

「まだまだだね」
「うう、わかってるよう」
「まあ、相変わらずだけど………」
「………え?」

聞き返した桜乃にバツが悪そうに「なんでもない」と返すと、
ポケットからもう一つボールを取り出した。

「もう一回行くよ」

それに頷きながら、内心首を傾げる。


(相変わらずってなんだろう………)


リョーマのフォームは威力を抑えたものだが、桜乃には十二分に綺麗に見えた。
自分にも喝を入れて、バウンドするボールを追う。

「ボール、良く見て。ヒザ伸びすぎ」
「は、はい」

思わぬアドバイスが来て、桜乃は慌てて意識した。

「えいっ」

軽く声を上げて打ってみれば、心地の良い音。
見事にラケットにヒットしたボールは綺麗な曲線を描いてリョーマの基へ飛んでいく。

「リョ、リョーマくん!打てた、打てたよ!」

感動して桜乃は嬉しげに声を上げる。それに軽く微笑んで

「そう、良かったね。ほら、もう一回」

優しい声音だった。少し心臓が鼓動を早めるが、きちんと打てたことが嬉しいこともあって、
桜乃はなんとか集中する。

「んっと、ヒザを曲げて」

もう一度注意されたことを反復して打つ。
さっきと同じように、ちゃんとリョーマの基へ飛んでいった。


(嬉しい〜。ちゃんと打ててる!テニス出来てるよう)


リョーマのおかげだ。
そのことが更に嬉しい。


(あれ?でも前にもこんなこと………)


まだ小さかった頃、同じように、反対側のコートにリョーマがいて、同じように嬉しくなった。
その情景がぱっと浮かんだ。

「竜崎、行ったよ」
「は、え、はいっ」

考えに没頭していた桜乃は慌ててボールに反応する。


(そうだ、リョーマくんと前に会った時にテニスしたんだ)


それは一緒にいる間のほんの数分間だけだったが、あの時の桜乃には十分な時間だった。
祖母が南次郎と話している間、暇だと言ったらリョーマが連れてきてくれたのだ。


(リョーマくん覚えてるかな?)


リョーマが軽く打つ。その姿はやっぱり綺麗だ。
急に、さっき言われた言葉が頭を過る。


(ひょっとして、だから「相変わらず」?)


ボールを打って、桜乃はラケットを持つ手に力を入れた。

「前にもこんなことあったね!」

思わず声のボリュームが上がってしまったが、構わず桜乃は微笑んだ。

「あの時も教えてくれたよね。あ、ありがとう」

間違ってなければ、リョーマは確実にあの時のことを覚えていてくれている。
少し緊張するが、お礼を言うくらいは余計なことではないはずだ。
微笑んだ桜乃に、一瞬目を丸くしたが、すぐに帽子を深く被り直した。

「うん」

いつもより少しぶっきらぼうに応えた彼に頬が染まるのが心地いい。
しかし、次にきたボールはさっきよりも早くて、桜乃は思わずからぶってしまう。

「も、もう、意地悪」

わざとやったことは明白なので頬を膨らませる。
それにニヤリと笑って、「ちゃんと見てなくちゃね」と憎まれ口を叩いた。

「そうそう、それからヒザやっぱりまだ伸びてる、それと肘曲げすぎ」
「え、ヒザと肘……」
「それから肩開きすぎ」
「肩かぁ、うう」
「それと………」
「まだあるの〜」
「髪の毛長すぎ、へっぴり腰」
「もう〜」

やはり頬を膨らませて桜乃は最後の台詞に抗議した。
大きな目で凄んでみるがリョーマは軽く流す。

「意地悪」


精一杯の反抗に、リョーマはふっと微笑む。


「まだまだだね」


それは、さっきのような意地悪気な笑みではなくて、優しい微笑みで、
思わず桜乃が見とれてしまうような………。
急に頬が赤くなっていくのを自覚して俯いて隠した。

「あの、リョーマくん。ありがと………」

囁くような声に、リョーマも軽く相槌を打つ。


「もう一回教えてくれる?」


それに快く承諾して、庭にボールの音が響き出す。
日が傾く庭のコートで、二人の影が伸びていく。


その影がどこかで交わらないかな、と、そんなことを桜乃は思った。








 あとがき


   花嫁第二段でした。
   のんびりした二人をお楽しみ下さい。




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