チュー。






 始まりはなんだったっけ?

 ああ、近頃暑いですよねって言った桜乃ちゃんに、
夏に入ったって感じだよなと返したところから始まったんだっけか。



(にしてもあちいよなー。)

 さっきから、汗を拭いても拭いても垂れてくるのがうっとうしくてたまらない。
 桜乃ちゃんに集中することで暑さを気にしないようにしようとしても、
無駄な努力に終わった。
 俺の目は確実に桜乃ちゃんを捕らえているけどね。

(だって気になるじゃん。)

 慣れてきたからって、油断したら駄目なんだ。
 不運の申し子といっても過言ではないほど不幸な目に合う桜乃ちゃんのことだ。
 きっとトラブルに巻き込まれてしまうだろう。

 灰色の、多分コンクリートで出来ている壁が長々と続いている道を、
ただ黙々と歩いていく。
 海馬とかいう金持ちが立てた別荘だと聞いたことがある。
 ここが田舎だと考えれば、どこぞの金持ちが別荘建ててもおかしくはないだろうけど。

 ・・・神奈川だぜ?

 そりゃあ東京と比べれば田舎だろうけどさ、そんなに田舎じゃないと思うんだよね。
 鎌倉だとか中華街だとか正月にやる箱根駅伝のコースがあったり、
天狗せんべいとか米まんじゅうとかれいせいとか港の丘とか久寿餅とかきびもちとか
さらし飴とか中華菓子があるし。
 あ、あと寄木細工とか鎌倉彫もあるな。
 取り合えず、田舎っていうほど田舎じゃないとこに別荘建てるなんて
どんだけ金持ちなんだよ。
 つか建てんな。うっとおしいから。

 そんなよく考えればどうでもいいことについて頭を動かしていたら、
いつの間にか桜乃ちゃんとの距離が空いていた。
 そのことに驚いて、急いでつめようとしたとたん、桜乃ちゃんが動いた。

「・・・やべ・・っ!」

 慌てて見失わないように追いかけ始めるが、運悪く人波にぶち当たってしまう。
 短く悲鳴をあげながらもなんとか体制を立て直し、桜乃ちゃんの後ろ姿を探す。

(・・・見つけた。)

 大分離されてしまったが、まだ追いつける。

(立海大元男テニレギュラーをなめんなよ・・・!)

 俺の計画では、この後一気に加速するはずだった。
 が。
 道の真ん中で、俺はぴたっと足を止めてしまう。
 自分の目の前には、ジャージ姿で走っていくどこの学校かも分からない奴らの大群。

 俺は、もう追いつけないやとぼんやりと思った。








 考えたからそうなったのか、考えなくてもこうなる運命だったのかは分からないが、
桜乃ちゃんを見失ってしまった俺は、ただぼーっと歩いていた。
 桜乃ちゃんを見失ってからすぐ、彼女の目的地だろう店に行ったのだが、
店内に彼女の姿はなく。
 なにかの拍子に桜乃ちゃんを見つけられるかもという希望があったから、
こうしてぶらぶらと歩いている。

(・・・あちぃ。)

 暑さを増徴させる様にみんみん鳴きまくってる蝉に殺意を覚えるが、
奴らの命があと少ししかないことを思い出し、上げかけていた足を下へ下ろす。

「悔いが残らないように鳴いとけよ。」

 蝉にそう言って、どこに行くでもなく歩き出す。
 普段は絶対こういうことを言わない(しかも蝉に)だろうが、今はいつもの俺ではない。
 今の俺はちょっぴりセンチメンタルなのだ。
 そうこうしてる間にも、真夏の太陽は俺の体力を容赦なく削っていく。
 いい加減喉も渇いてきた。

(・・・どこいっちゃったんだよ桜乃ちゃん。)

 公園でもないのに何故か芝生が広がっている所に、
丁度日陰になっている場所を見つけて小走りした。
 もう限界だと訴えている喉を無視することも出来なかったので、
叫びながら芝生にいきおいよく寝転がる。

「喉渇いた ―――――っ!」

 肩で息をしながら、地面の冷たさで体の火照りを冷やす。
 ちょっと温いが、ヒートダウンさせることは出来た。
 そのついでに、迷子になってないかとか、俺がここにいること分かってんのかなとか、
帰りの新幹線の切符って何時発のだったっけという考えは全部消去する。

 いつだって帰ってきてくれる。
 その笑顔と一緒に、ここへ帰ってきてくれるから。

 だから、彼女のことを信じて待つことにする。





 何かが落ちた音と同時に、腕の中で彼女の可愛らしい叫び声が発せられる。

「ぶ、ブン太さん・・・!あ、ああ、暑くないんですか?!」

 桜乃ちゃんが顔を真っ赤にしながら正しいことを言ってくるけど、
それはそれ。これはこれ。

「桜乃ちゃん俺から逃げたし、その代償ってことで。」

 しっかり抱きしめさせていただくことにしましょう。

 桜乃ちゃんは暫く怒ってるような恥ずかしそうな声で反論してたけれど、
少ししたら諦めてくれた。

「・・・買ってこれましたからね?」

 桜乃ちゃんの指差した場所には、茶色い紙袋が転がっていた。

「ブン太さんが欲しがっていたチューペットです。」
「え、まじ?!桜乃ちゃんありがとう!!」
「きゃ!だ、だから・・・・!」
「代償だってば!」

 桜乃ちゃんが東京に帰れなくなっちゃうって心配するぐらいいちゃいちゃしてたけど、
全然足りない。

 だから今度は待ってて?
 絶対そっちに桜乃ちゃんが欲しいもの持っていってあげるから!





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