数駅分の距離






(・・・あの店。)

 あっという間にすり抜けていった赤い屋根の店の方に頭を動かす。
 頭を動かすという動作は、満員電車の中にいるため想像以上にしにくかった。
 それでも無理矢理動かすと、近くにいる四十代くらいの男に舌打ちされた。

 未練がましくあの店が消えていった方向を見つめていたいのは、
普段我侭らしきことを言わない彼女がぽつりと呟いた「行きたい」という四文字が、
彼女の笑顔と一緒に流されていってしまったようで、なんとなく胸が詰まったから。

  あの時行けば良かったのだ、やっぱり。

 後になって気にするぐらいなら、彼女の希望を叶えてあげれば良かったのだ。
 そうしたら彼女の笑顔を見れただろうし、彼女と喧嘩をすることもなかったし、
こんな罪悪感に捕らわれることもなかった。

(俺ってやっぱ駄目な奴・・・。)

 兄貴との件で解った筈なのに。
 意地張ったって良い方には変わらない。
 むしろ互いが傷つくだけだって、解ったはずなんだ。

 なのに今、また同じことを繰り返している。


 電車の窓に映る自分の顔を睨む。

(・・・ここで負けたら駄目だ。)

 ここで負けを認めて、もっと駄目な男になるつもりか?

 そう自分を叱咤激励して、きっと前を向く。
 もっと駄目になる前に、桜乃に会いに行く。

(行って、ちゃんと謝らなきゃな。)

 がたんと電車が強く揺れる。

「次はー…」

 派手な音を立てて電車の扉が開き、アナウンスが次の駅名を告げ始める。
 いつの間にか青春台まで後二駅になっていたことに驚きつつも、
聖ルドルフと青学の距離が数駅であることに感謝する。

(つーか、さっさと出発しろ・・よ・・・。)






「ちょっ・・・降ります!!」

 群がっているくたびれたサラリーマンの群衆の中に突っ込みながら、
ありったけの声を使ってそう叫ぶ。
 舌打ちをしたりする奴やわざと邪魔してくる奴もいたが、なんとかホームに降り立ち、
そして走り出す。
 一番近い階段を猛スピードで駆け下り、殆ど無人である改札口の前を通って、
反対側のホームへと続いている階段を駆け上がる。
 普段ならこんな距離どうってことないが、部活を終えたばかりの体には正直きつい。
 なんとか階段を上がり終えて、一呼吸してからゆっくりと顔をあげる。

(・・・やっぱり、いないよな。)

 ドラマなんかだと、電車は行ってしまっていても彼女だけは待ってるってパターンが
多いんだけどなぁ、なんて考えながら、近くにあったベンチに腰掛ける。
 そこで考えるのは、やっぱり桜乃のこと。

 満員電車の中で見た桜乃は、どこか思いつめたような顔をしていて、
いつも以上に放っておけないと思った。
 だからどうしてもここで捕まえたかったのに。

(考えたって仕方がない。)

 諦めたとたんに浮かんだのは、あの小さな赤い屋根。

「・・・よし、桜乃に買ってってやるか。」

 聖ルドルフに戻るのは遅くなるが、謝罪の気持ちも込めて、
ケーキを買っていってやりたい。
 そう思った。

 ベンチから勢い良く立ち上がり、素通りした改札口へ向かう。
 まだ桜乃と仲直りしたわけではないのに、随分気持ちが楽になった。
 油断していると口笛まで出てきそうになるくらいうきうきしながら、階段を下りていく。
 改札に切符を通して、ケーキ屋の位置を丁度置いてあったばかでっかい地図で
確認して歩き出す。


「・・・・・?」

 後ろから誰かの声が聞こえて、ふと振り返る。
 何故だか振り返らなきゃいけない気がした。

・・・・・うたさん!




 自分の勘が当たっていたことを喜ぶ間もなく走り出す。

 やっぱりケーキを買おうとしたのは良い判断だった、と思いながら。





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