きっかけ。






 桜乃はさっきからずっと同じところで突っ立っていた。
 そこで突っ立っていたいわけではない。
 わけではないのだが、突っ立っているしか桜乃には出来なかった。

(ど、どうしよう・・・。)

 桜乃はちらちらと視線を下へと動かす。
 桜乃の目の前にある電話ボックス。
 それを使いたいのだが、使えなかった。
 別に、公衆電話が壊れているわけではない。

(動かしちゃ・・・いけない、よね?)

 問題なのは電話ボックスの中。
 そこで、見ず知らずの少年が寝ているのだ。
 電話ボックスの下の方に取り付けてあるタ○ンページなどが乗っている棚に、
丁度顎(あご)を乗せた状態で。

 金に近い色をした髪を微妙に伸ばした少年はすやすやと気持ち良さそうに眠っていて、
起こすのが躊躇われてしまう。

(・・・でも、電話しなきゃ・・・!)

 意を決して起こそうと桜乃が近づきかけたその時、着メロらしい音が流れ始めた。
 驚いてバックを反射的に開けて、慌てる。
 携帯は家に忘れてきたのだ。
 自分の行動に赤面しつつ、音源を捜すべく周りを見ると、
電話ボックスで寝ている少年が半分目を開けていた。
 寝ているのか起きたのか判断がつかない状態で、
少年は鞄の中にゆっくりと手を入れる。

(この音は、あの人の携帯から鳴ってるのかな?)

 桜乃の推理通り、少年が鞄の中から引っ張り出したのは携帯だった。
 ひどく緩慢な動作で通話ボタンを押したらしい少年は、
口を緩く動かしながら電話ボックスの透明な扉へと手をついた。
 ぎぃ、と小さな音を出しながら、扉が開く。

(も、もう少しですよ・・・!)

 気分は初めて立とうとしている子馬を見ている母親か。
 地面に膝をついたまま扉をゆっくり開けていく少年を、
人の良い桜乃は自分の用なんて忘れて応援した。
 が、桜乃の応援もむなしく、
少年は上半身だけ電話ボックスから外へ出したところで倒れてしまう。

 少年の握り締めている携帯からは、誰かの怒声。
 迷いに迷ったあげく、桜乃はその少年に駆け寄った。

「んん・・・・?」

 ゆさゆさと二、三度揺さぶってみると、少年は目をうっすらと開けた。

「あ、あの!大丈夫ですか?」

 ぼーっとしている視界に桜乃を入れた少年は、眠たそうな声で話しかけた。

「電話・・・。あっくんは?切れてる?」
「え・・・。あ、切れてしまってますけど・・・。」

 少年が言いたいことを察して携帯を調べた桜乃がそう教え、携帯を少年に返す。
 返す前にちゃんと通話終了ボタンを押すところが、桜乃らしいところだ。

「まじ・・・?」
「まじ、です。」

 しばし、沈黙が訪れる。

「そっかー・・・。」
「は、はい。」
「じゃーしょうがないよねー・・・。」

 電話ボックスを利用して立ち上がった少年が、よたよたと歩き出す。

「・・・・・・・大丈夫ですか?」
「うん。・・・・へーき。」

 桜乃はその後、去っていく少年の後ろ姿が見えなくなるまで見守ったのだった。







「へー。それが出会いなん?」

 忍足が、皆を代表してそう言う。

「はい、そうですよ。」

 桜乃の言葉を聞いた人間の反応は、呆れるか笑うかの二つに分かれた。

「それって多分、都大会頃の話じゃねぇ?」
「だろーな。跡部が『出たのに応答しやがらねぇ』とか怒ってるの、聞いた気がするぜ。」
「ジロー先輩そんなことしてたんですね。」
「さーくのちゃーん!」

 そんなことを話している桜乃達の元に、慈郎が全力疾走してくる。
 その後ろには跡部の姿もある。

「桜乃ちゃん!」

 ぴたっと桜乃の目の前で止まると、慈郎はうきうき弾んだ声で言った。

「早く帰ろ〜!」
「はい。じゃあ皆さん、また。」



「・・・あいつ、お前等がいること気付かなかったんじゃねーか?」

 彼女の手をぐいぐい引っ張っていく慈郎を見ながら跡部が呟いた一言は、
事実だったかもしれない。





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