い幸せ







 白い服を着た人達がばらばらと歩いてくるのを見て、
桜乃は足を速めた。
 見慣れ始めていた門をくぐり、他の多くの人がそうしたように、
桜乃も体育館へと急ぐ。

(まだいるよね?)

 焦っているのに、なかなか前へと進めない。
 それもそのはず。桜乃は逆方向に歩いていく人の間をぬっていこうとしているからだ。
 元々バーゲンとかが苦手な桜乃には、ここを乗り切ることは難しい。
 あまりにも進めないので、仕方なく足を止めて、人が少なくなるのを道のはじっこで
待つことにする。
 待つついでに周囲に目を配ると、同じように私服で来ている人も少なからずいて、
桜乃は胸をなでおろした。

 しばらくそうやって見ていたら、人波の中に知っている人物を発見した。
 その人物は桜乃に気付くと、にっこり笑った。
 山吹中の元テニス部部長に、おめでとうございますという思いも込めてお辞儀をすると、
人が少なくなった道を、桜乃はまた走り出した。







 体育館の裏に回ると、オレンジがかった茶色をようやく視界に収めることが出来た。
 ぼんやりと座っている後姿に声をかけず、そろりと側によると、手で目を覆う。

「桜乃ちゃん!」

 何も言わないうちにそう答えられてしまい、桜乃のほうが狼狽してしまう。

「なんで分かったんですか?」

  来ること話しませんでしたよね?

 そう聞きたそうな少女に、少年はへらっと笑いかける。

「桜乃ちゃん来てくんないかな〜って。俺がそう思ってたからじゃない?」

  俺ってラッキー。

 幸せそうな顔をしている千石とは対照的に、桜乃は不満顔だ。

「今日こそ驚かせることが出来ると思ったのに。」
「そいつはアンラッキー。」
「いつも私が驚かされてばっかりだから、たまには私も驚かせてみたいです。」

 桜乃はそう言いながら、ぷうと頬を膨らませてしまう。

「驚かせるなんて、桜乃ちゃんには簡単なことなのになぁ。」

 彼女には聞こえない声量で呟いた彼を窺うようにじっと見ている桜乃に、
何?と千石は仕草で問う。
 問われた桜乃は、一旦口を閉じたものの、また口を開けて、一字一句を大切に
発音する。

「ご卒業、おめでとうございます。」

 その言葉を花のような笑顔と一緒に送られて、千石は桜乃に負けないくらい
きれいな笑顔を彼女にむけた。

「今日たくさん聞いたはずなのに、初めて言われた言葉のような気がするよ。」

 今朝目を覚ました直後に聴いた彼女の声を、寸分の違いなく思い出せるというのに。

「嬉しいです!この言葉を、どうしても千石さんに直接言いたくてここまで
 来たんですから。」
 驚かすことが目的じゃなかったんですよ?と、桜乃は笑う。

「本当にありがとう!」
「きゃ!」

 いきなり抱きついてきた千石に、桜乃はただ驚くばかりだ。

「せ、千石さん?!」
「いや〜。嬉しすぎて、つい。」
「ついって・・・。と、とにかく離れてください!」
「ん〜?うん。」

 桜乃が手をばたつかせるが、千石はびくともしない。

(恥ずかしいよう・・・。)

 嬉しい反面恥ずかしくて、この状態を何とかしようと桜乃が思案し始めた、その時。
 ばっ!という効果音がつきそうなぐらい勢い良く、千石が桜乃から離れた。

「千石さん・・・?」

 横で不思議そうな顔をしている少女に、千石は着ていた学ランの上着を脱いで、
はい!とつきだした。

「あ!ちゃんと昨日洗濯したから大丈夫!」

 一方桜乃は、あはは〜と笑っている千石の真意を計りかねて戸惑うばかりだ。

「うちの制服にはないから、その代わり!」

 その言葉で、やっと理解する。

「・・・第二ボタン」
「桜乃ちゃんにあげたいな〜って思っちゃったから。」

  いらなかった?

 目がそう問うているような気がする。

「い、いらないわけないです・・・。ありがとうございます。」

 桜乃が涙で震えた声で紡いだ言葉を聞いて、千石は微笑む。

「いらないなんていわれたらカッコつかないな〜って思ってたんだけど、
 そう言ってもらえてラッキー。」

 そのセリフに、桜乃は笑い出してしまう。


 しばらく一緒に笑った後、千石が満面の笑みでこう言い切った。

「ねえねえ。これ、桜乃ちゃんに着せてもいい?」
「・・・え?」

 これとは、学ランのこと。
 ちょっとしたパニックを起こしている彼女の答えを聞く前に、
いいからいいからとか言いつつ、桜乃のコートを脱がせ始めてしまって。
 こうなった千石を止めることは不可能に近いので、おとなしく着せてもらう。

「着替えかんりょ〜う。」

 千石に着させてもらった(?)彼の学ランは、やっぱり桜乃には大きすぎて
ぶかぶかだった。

「なんだか・・・」

 胸がどきどきする。
 彼と同じにおいがして。

 彼に抱きしめられているような感覚に陥りそうになってしまうので、
どうにも落ち着かない。

「似合ってるよ、桜乃ちゃん。」

 そんな気持ちを知ってか知らずか、千石は桜乃を抱き上げてすたすたと歩きだす。

「千石さん?!お、下ろしてください!」
「ん?だめ。」
「だ、だめって・・・。」

 さらりと拒否されて、桜乃は何を言っても無駄だと悟り、落ちないようにと
千石の首に腕を回した。

「・・・やっぱり、私ばっかり驚いてる気がする。」
「そんなことないよ。」

 独り言に答えられて、桜乃が二重に驚く。

「え?」
「今日も驚いた。」
「どんなことにですか?」

 興味津々といった目で、桜乃が千石を見る。

「ん〜。色々なところで。」
「・・・・それじゃ分かりません。」
「じゃあ、桜乃ちゃんが気付かないところでってのはどう?」
「む〜。また子ども扱いする。」

 明らかに不満が見てとれる顔をしている桜乃に、千石が苦笑する。

「桜乃ちゃんを子ども扱いしたことなんてないよ?」

 人のあまり通らない路地に響く、静かで優しい声。

「本当に分からないんだ。驚きというものが『胸がどきどきする』ことだとしたら、
 俺はいつでも驚いてるよ。」
「いつでも、ですか?」
「うん。いつでも。」

 千石が、桜乃を大地へとゆっくりと下ろす。

「来てくれないかな〜って思ったら来てくれたし、俺の言葉で笑ったり泣いたり
 してくれる。」
「・・・そんなことで?」
「俺にとっては、そんなことじゃないよ?」

 千石の両手が、桜乃の頬に躊躇いがちに触れる。

「特にどきどきするのは、抱きしめてる時。」

 いたずらっぽい笑顔を浮かべて、知らなかったでしょ?と聞く千石に、桜乃は頷く。

「でもそれは、嬉しいとか、幸せだとか思う心の現われだから。
 だから、桜乃ちゃんが困るって知ってても、触れたくなっちゃうんだ。」



  桜乃ちゃんが嫌な気持ちにならないように気をつけるから、触れてもいい?

 そう耳元で囁いた千石に、桜乃が抱きつく。


「いいですよ。」

  私も、千石さんと同じ気持ちですから。



 千石の腕が、桜乃の体を包みこむ。




    大好きだよ。
    大好きです。






天狼的千桜小説卒業式編でした。

突然ですが・・・。学ランさいこー!
学ランって女子でいうセーラー服ですよね。
学生っていう期間限定で着るものだからいいのかも。
というわけで、天狼は学ラン派です。