硝子色の夜







「今日は一段と可愛いね。」

 そう言われて弾む心を、慌てて平静に戻そうとする。
 が、ゆるむ口元を戻すことは難しかった。

 昨日の夜、心に誓った甲斐があったのか、今のところそうなる心配はない。
 でもいつ現実になるのかと考えるとひやひやしてしまう。

(現実にならないように気を引き締めていなくっちゃ。)

「はぐれないようにしなくちゃね、桜乃ちゃん。」
 少し前を歩く彼にそう言い当てられて、心を見透かされた気がして恥ずかしくなる。

「桜乃ちゃん、人通りが少ない道ではぐれちゃったんだよね〜。」
「そ、そんなこと思い出さないで下さい!」
「あの時桜乃ちゃんには方向音痴の上に、はぐれ癖があると知ったんだよ。」
「あ、あの時はあの時です!今は!い、今は・・・」
「今もあるよね?」
「う・・・。」
 清純さんが、こういう時の笑い方で笑う。

 清純さんは人の心を読むのが本当に上手い。私の心なんてすぐ見抜いて、
先回りして罠を仕掛けて待っているのだ。
 そういうところがいじわるだと思う。

「もう!いい加減笑うのを止めてください!」

 そう言っても清純さんが笑い続けるから、私は口を尖らせる。

「・・・清純さん。」
「ご、ごめんごめん!」

 そう謝ってくれた清純さんのちょっと息苦しそうな口調に、少し心配になる。
 そんな私に清純さんは大丈夫と笑ってみせた。

「でもほんと、今日はいつもより人が多いから気を付けないとね。」

 そして。

 いつの間にか隣にいてくれている彼の気遣いにとても嬉しくなってしまって、
彼のいじわるを許してしまうことを知っているところも、いじわるだと思う。










 桜乃は千石に告白されたその日、学校の近くでたまたまやっていた秋祭りに行った。

  すぐ横には、千石さんがいる。

 それだけで桜乃の胸は高鳴って、うきうきしてしまって。
 ・・・気が付いたらはぐれてしまっていた。
 色んな人にぶつかりそうになって避けていたのが原因だろう。
 桜乃は自分のあまりの間抜けさに頭(こうべ)を垂れる。

(落ち込む前に千石さんを探し出さないと・・・。)

 そう気合を入れて、きょろきょろと辺りを見渡してみるが、見つからない。
 それどころか人が増えてきてしまって、見つけるどころではなくなってしまう。

(せ、千石さんは・・・。)

 人波の中で懸命に探そうとするが、それらしい姿さえも見つけられない。
 思い通りに探せないので、桜乃は一旦人の波から外れることにする。
 そんな桜乃に、タイミングを計ったかのように近寄ってくる男達がいた。

「ねぇねぇ彼女、一人?」
「え・・・?」
「お兄さん達と遊ばない?」

 グラサンをかけた、「ナンパ目的です」と言っているような男達が三人、
逃げないように桜乃の周りを取り囲む。

「あ、あの!」
「いいじゃん。行こうよ。」

 話しかけてきた男達の一人が、桜乃の腕を強引に引っ張る。

 そのとたん、桜乃の身体中に、例えようもない嫌悪感が広がった。
 桜乃が泣きたい気持ちを押さえて何か言おうと口を開いたその時。



 突如桜乃におそいかかった、後ろに倒れるような感覚。


 予感めいたものを感じながら首を捻ると、捜していた人物が後ろにいて、
嬉しくなって思わず抱きつく。

「千石さん!」
「やあ桜乃ちゃん。遅くなってごめん。」

 千石は桜乃をしっかり抱き締めると、男達に向き直る。

「この子に手を出さないでくれるかな?」

 やんわりとした口調で話してはいるが、これは千石の忠告。
 普段の千石を知る者が聞いたら、すぐにここから離れるであろう。
 千石のことをよく知らない人間にも、自分達に不利益なことが起きることは容易に
予測できるはずだ。
 それでも、世の中には恐ろしく鈍感な人間はいるもので。
 男達の中に勘の鋭い男がいるにはいたが、リーダー格の男ではなかったので、
結果として男達は引かなかった。

「けっ!今までその子をほっぽいといた男が何言ってやがる!」
「そ、そうだよな!」
「後から来て何勝手なことぬかしてやがる!」
「こんな男といるより」
「・・・こんな男といるより?」

 静かな声がふりかかり、熱弁を振るっていた男達が固まる。
 飽くまで口調は柔らかいが、そこから感じられるのは怒りという感情だけだ。

「女の子の扱いがなっていない君達に言える台詞じゃあ、ないよね。」

 その一言でトドメを刺されて、無言のまま去っていく男達から視線を下へ移動させ、
千石は桜乃に聞く。

「待った?」
「・・・はい。」

 くすくす笑っている桜乃につられて、千石もいつもの笑みを溢(こぼ)す。

「じゃあ気を取り直して、打ち上げ花火見に行こっか?」




 途中で千石がお詫びだと買ってくれたラムネを飲みながら、夜空を見上げる。

   赤、黄、緑、橙。

 花火が、色とりどりの火花を秋の夜空に散らす。

(今日見た虹みたい。)

 そう思って、彼の告白に答えを返していないことを思い出す。

『彼は自分の気持ちに気付いている。』

 そう知っていても、自分の気持ちを言葉で伝えたい。
 隣にいる彼は、熱心に空を見上げている。

 ――― でもどうやって?










 抱き寄せられる感覚で我に返ると、清純さんの顔が間近にあって驚く。

 笑いながら「ほらやっぱり。」なんて言っている彼は、あの時より背が
高くなっていて。

 今日は浴衣を着ている分、余計にかっこいい。

(なんて思っちゃうのは、欲目かなぁ。)

「ほら。また人にぶつかっちゃうよ?」

 彼の腕にすっぽりと収まったまま、繋がれた手の感触が心地良い。
 夜空には花火、すぐ横にはラムネ。


 まるで、あの時のよう。

 幸せを感じて、彼の手を握り返す。
 迷わないように、しっかりと。
「大丈夫ですよ?」

 そう?と優しく笑ってくれる清純さんに答えるように、花火が夜空に散った。

「わ。すごい。」

 一定の間隔で打ち上げることでさえ、花火の美しさを際立たせる。
 その美しさを伝えようとした瞬間に合わせられた唇に、反応を返すことが出来ない。










 桜乃は、花火を申し訳程度に見ながらどうやって気持ちを伝えるか、その方法を探した。
 だが、しばらくして見つけ出した方法に、彼女は躊躇した。

 悩んでいる彼女の横にいる彼は、相変わらず夜空に釘づけで。

 彼の瞳に花火ばかりが映っていると考えるだけで、胸がずきずきした。

(これって、嫉妬・・・?)




 気がついたら、彼の瞳が近くにあって。

「・・・好きです。」

 千石が自分の方を見ていると思うだけで、躊躇していたのが嘘のようにさらりと
自分の気持ちを伝えることが出来た。
 呆然としている彼の顔を覗こうとしたとたん、桜乃は千石の腕の中に閉じ込められる。

「さっきのは一瞬だったから、もう少し堪能させて?」

 そう聞こえたと同時に、唇を奪われる。



  ――― もう花火の音は、聞こえなかった。








「・・・花火見てたら、したくなっちゃった。」

 おどけたような口調に、はっと我に返る。
 きっと今、私の顔は真っ赤に染まっただろう。

 恥ずかしくて、嬉しい。
 色んな気持ちが混ざり合って、気が動転する。
 同時に、頭の中の冷静な部分が、ある答えを弾き出す。

「私も、あの時を思い出していたんですよ。」
「そうなの?」
「そうなんです。」
「じゃあおなじだ。」
「おんなじですね。」

 彼の体温を背中に感じながら、ラムネの中にあるびー玉が奏でる
涼しげな音を聞く。


「来年も来ましょうね、清純さん。」
「来年も浴衣着てくれる?」
「清純さんも着るんなら。」

 そう言うと、清純さんは考え込んでしまった。



 でも多分。




  びー玉は、来年も増えることでしょう。






『橙が運ぶ恋』の続き。
やはりありえないほど少女漫画チックでとてつもなく甘いです。
やはー。