■ 恋人達に愛を。


 空気も冷たくなってきた冬のある朝、私は目覚ましより早く起きた。
 昨日は12時だと気付いてから慌ててベッドに入ったから、眠くて起きれないと思っていたのに、珍しいというか、タイミングがいいというか。

(起きられて良かった・・・。)

 遅刻しないですみそうという考えが浮かび、ほっと胸を撫で下ろす。
 上手くいかないだろうと思っていたことが上手くいったせいで、いつもより心がうきうきする。
 なのにそれは、数秒後には落胆に変わった。

 久し振りのデートの日は、雨だった。



「おはようございます。」
「おはよう。」

 手塚先輩はいつものようにぴしりと服を着ていて、さっきまでどしゃぶりだったのにすごいなぁと、会った瞬間に思った。
 私が着ている服は、湿気でよれよれになっている気がするのに。

「どうかしたか?」
「あ、いえ・・・。なんでもありません。」

 手塚先輩の目が、一瞬不思議そうな光を宿す。
 けれどすぐにいつも通りになり、先輩の視線は駅前の街路樹へと顔ごと動かされた。
 それは、注意していなきゃ気付けない程小さな、手塚先輩のクセ。
 最初はその動作を拒絶だと思っていた。
 でも今は、それから手塚先輩の言いたいことをなんとなく感じ取れる。

 手塚先輩は冷たい人なんかじゃない。
 態度が素っ気なかったり言葉が短かかったりするせいか、誰もがそう思ってしまうけれど、手塚先輩は冷たい人なんかじゃない。
 私もそうだった。

 けれどそれは誤解。(それから、大人だっていうのも誤解。)

「竜崎、傘は持ってきているか。」
「あ、はい、もちろん。」
「そうか。・・・では、それは使うな。」
「え?なんでですか?」

 手塚先輩の視線がついと動かされたから、私は再び先輩の視界に入った。
 一拍あけてから、同じ調子で告げられる。

「小降りになったからだ。」
「え・・・?」

 さっき先輩がとった行動とは真逆に動くと、雨が弱まっていることが確認できた。
 確かにここに辿り着く前からは考えられないほど小降りになってはいるけれど、濡れることは深く考えなくても分かる。

「でも、濡れちゃいますよ?」

 拒否とか困惑じゃない気持ちからそう言うと、手塚先輩は少し悪戯っ子の様な表情を作って決行することを私に告げた。

「タオルを持っているから大丈夫だ。」

 そっと手を握られて、少し笑う。
 嬉しいから。

 手塚先輩の悪戯心が疼いてくれたことが。
 起きた時にはあれだけヘコまされたものがきっかけになってくれたことが。
 隣に手塚先輩が居てくれることが、嬉しいから。


 今日という日がデートの日だったことに、その時初めて感謝した。



お使い帰りに見かけた可愛いキャップルが
こうやって歩いていたので、つい・・・。
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■ 初めて彼を憎いと思いました


 デパートに行ったら、時計売り場でリョーマ君に会いました。

「リョーマ君、こんにちは。」
「・・・ん。」

 休日に、しかも予期せぬ所で会えたことが嬉しくって、弾む心を抑えながら声をかけると、リョーマ君はそう一言だけ返してくれた。
 通常通りの対応。
 おはようとか言ってくれたっていいのになと思ったけれど、リョーマ君の出で立ちを見たらそんなことはどうでもよくなってしまった。

 だって、今日もリョーマ君の頭には白い帽子。

 この帽子がお気に入りだってことは見ていれば分かるけど、デパートに来る時まで被ってなくてもいいのに。

(・・・リョーマ君にとっては今更な話なのかも。)

 どんな所でもリョーマ君がリョーマ君でいることに安堵して、それと同時に微笑ましいとも思った。

「・・・竜崎は何買いに来たの?」
「え?あ、うん、目覚まし時計を買いに来たの。」

 またもやふーんとだけ返されて、これで会話は終わりかなと寂しく感じていたら、リョーマ君は唇の端を少しだけあげた。

「どこかに投げて壊したの?」
「そ、そんなことしてませんっ!」

 珍しく楽しそうな顔でからかわれたことで、私の心と顔の熱が一気に上がる。
 赤くなっているのを自覚した私は益々慌ててしまうけれど、リョーマ君は益々笑顔(っていうか意地悪顔かな?)になっていく気がする。

「そうじゃなくて、と、時々音が鳴らないから変えようかなって思っただけ!」
「竜崎が落として壊したんじゃん。」
「ち、違うもん!」
「違うなら、竜崎が鳴ってるのに気付かないだけなんじゃない?」
「・・・い、いい加減そこから離れてよう・・・!」

 必死にその言葉を出すと、やっとリョーマ君は私をからかうのを止めてくれた。
 そして、いっぱい並んでいる置き時計のひとつを手にとって、私に渡してくれた。

「これ、いいと思う。」

 そう言われて、手の中にある時計を注意深く見てみると、『一度止めても再び鳴り始めます!』という文章を見つけた。

「・・・リョーマ君?!」
「じゃあね。」
(もう!最後の最後までからかって!)

 帽子の鍔(つば)を左手で触りつつ去っていくリョーマ君。
 彼の背中には、余裕綽々と書いてあるような気がした。
 そう思ったら初めて彼を憎いと感じたので、私はその背中に向かって心の中であかんべをした。



実はリョーマも目覚ましを買いに来ていたのです。
そして密かに桜乃ちゃんと色違いを買っていたり。
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■ やっぱり末期なんだ


 ぬいぐるみを買った。
 ペンギンのぬいぐるみ。
 購入理由は『どことなく日吉さんに似ていたから』。
 だから、今月お小遣いピンチなのに衝動買いしてしまった。


 ぬいぐるみを見ても日吉さんに似てるなと思うなんて、末期だと思いませんか?


 ぬいぐるみを衝動買いしてしまった理由を話してしまった気恥ずかしさを紛らわすために発した言葉が笑い話にならなかったことに気付いたのは、日吉さんの顔が完全に赤くなった後だった。
 我ながらなんて馬鹿なことをしたんだと、後になって思った。
 思ったところでやり直しなんて出来ないんだけど、今までで一番強く後悔した瞬間だったんじゃないかな。


「「・・・・・・・・・。」」


 それから結構時間が経ったというのに、私達は未だに二人して固まっている。

 でも。
 でもね、日吉さん。

(私、こういう風な時間も結構好きなんですよ。)



はい、末期ですね。(私が)
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■ 右手と左手で


「桜乃ちゃん、ぎゅーってして。」

 その言葉と共にずいっと手の平を差し出されて、私は困惑した。

「桜乃ちゃんが考えてる通りだよ。」
「え、ってことは・・・。」
「うん。手ぇ繋いでくれる?」

 答えを教えてもらったというのに、私はさっきより困惑した。
 だって、こんな所で手を繋ぐなんて、常識からいっておかしい。

「・・・嫌?」
「い、いえ、嫌ではないんです。」
「じゃあ、迷惑?」
「それも違うんです。」

 じゃあなんで、と目だけで問われて、私は頭の中で言いたいことを整理してから話し始めた。

「だって、千石さんこそ迷惑・・・というか、邪魔じゃないですか?」
「邪魔じゃないよ。」
「え?!だって・・・!」
「自分から言い出したことだし、邪魔じゃないよ。」
「でも、そっちの手じゃ食べにくくありません?」

 ちらりと千石さんの左手を見やると、当の本人はいつもの調子で笑った。
 そして、左手を開いたり閉じたりしながら大丈夫だと宣言した。

「だって、この日のために練習したし。」

 だから大丈夫。そう言われてしまえば私にはもう反論出来なくて。
 自分の左手を千石さんの方へ差し出し、手を握り合った。


 あれから十分。
 あの言葉が本当かどうかずっと観察していたけれど、千石さんの箸使いはいつも通り淀みがなかった。
 彼の箸使いは、千石さんと食事したことが何十回とある私が本当にそっちが利き手じゃないのかとうっかり質問してしまいそうになるくらい自然だ。

「・・・本当に大丈夫でしたね。」
「でしょ?」

 感動よりも驚きからそう言葉をかけると、千石さんは笑みを深くした。
 その顔が心なしかいつもと違うと思うのは、千石さんを悪戯が成功した子供のようだと思ってしまったからかな?

「でもなんでこういうことをしたいと思ったんですか?」
「それはね、こういうシーンを見たからだよ。」
「・・・こんな風に料理を食べる人っているんですね。」
「見たのは小説の中だけどね。」
「実際に見たんじゃないんですか。」

 少し間を空けて付け足された台詞に力を抜かれてしまう。
 そのせいで思わず手を離してしまいそうになったけれど、千石さんが私の分も力を入れたので、私達の手が離れることはなかった。

「そ。読むだけじゃどんな感じか分かんないからさ、ちょっとやってみたいなって。」
「それだけの理由で・・・。」

 千石さんが、肯定するかのように笑う。
 ああ。
 この人はそれだけのためにっていうところに力を入れる人だって分かってる筈なんだけどなぁ。

「でも、練習して良かったと思うよ。」
「え?」
「だってさ。」


「いつもよりちょっとだけ食事が楽しくない?」



食事しててもラブラブ馬鹿ップル。
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