■ 雨上がり
雨が上がったばかりの境内で行われる夏祭りは、あまり気分のいいものではなかった。 (違う。) 天気のせいじゃない。 気分が最低な理由を天気のせいにしそうになった脳をすんでのところで停止させて、桜乃は溜息を吐いた。 こんな気分なのは自分のせいだってことを、桜乃は分かっていた。 あそこで声を出せたならここで会えたかもしれないのに、ほんの一握りの勇気を出せなかったために会えなかったのだと、十分すぎるくらいに理解していた。 だからこそ気分が上昇しない。 「・・・先輩。」 桜乃が愛おしむ様にそっと囁いたひとつの単語は、祭りを楽しんでいる人達の声ですぐに押しつぶされた。 ―――――――――――――――――――――――――― ■ うっすら暗い部屋の中カーテンを全開にしたまま、電気もつけていない部屋でただぼうっとしている。 ベットの上で、ましてや布団を被ってだなんてベタな落ち込み方はしたくなかったから、回転椅子に座りながら何時間も勉強机を睨んでいる。 そうした状態のままなんとなく硝子越しに入ってくる月の光に視線を移して、自分やアイツではなく彼女のことを考えてみる。 長い三つ編みを揺らしている、ただの女の子。 (・・・祭り、行ったんだろうか。) 毎年家族と行っていると言っていたのだから、行っただろう。 例え行きたくなくとも行ったのだろう。 (・・・俺が強引に連れ出したとしても、きっと。) 頑なにそれが優しさだと信じて、一緒に行きたい人間が別にいたとしても、行ってくれるのだろう。 どんな時でも、彼女は痛いくらい彼女だから。 ―――――――――――――――――――――――――― ■ ぺかりと明るい灯りの下外の空気が吸いたくなって開けた窓から、するりと太鼓の音が侵入してきた。 そのことに少々驚きつつも、国光は頭を回転させた。 (ああ、そういえば。) たいして時間をかけずに答えをはじき出し、音が発生している辺りへと注意をむける。 そこには赤や緑といったカラフルな光の粒がぽつりぽつりと点在していた。 夕飯時に祖父が言っていたことが本当だったということを確認した国光は、けれど心のどこかにひっかかりを覚えた。 そして電流が走ったように、思い出す。 ――― 部長は行かないの? 国光が部長を務めている部の生意気ルーキーが、そう言って挑戦的な目を向けてきたことを。 ――― 興味はあるが、受験生だからな。 そう答えた国光に、彼は安心したような軽蔑したような視線を、彼に隠れるように存在していた人物はただ悲しげな視線を向けた。 その、たった数秒向けられた二人分の視線が、国光の心を強烈に揺さぶったのだ。 だが彼は知らない。 二人の真意を。 ―――――――――――――――――――――――――― ■ あの日返り子供っぽいだのと文句を言っていたのに今は早く早くと急かしてくる我が子の後ろを歩きながら、桜乃は苦笑した。 今の様子を見る限り、本心から祭りに行くことを嫌がっていたわけではなく、父親の前では素直になれなかっただけらしい。 (なんだかなぁ。) 彼女が父親のことを嫌っているわけではないと、桜乃はちゃんと分かっている。 分かっているけれど、母であり妻でもある身としては、娘にもう少し素直になって欲しいと思わずにはいられない。 (清純さんはどっか行っちゃうし。) 娘の反抗期の的となってしまった彼は、そのことに気付いていたのか、息子と共にいつの間にか隣から消えてしまっていた。 桜乃は、それが一番寂しかった。 「・・・・・・清純さんと一緒に歩きたかったな。」 ここが二人の記念すべき初デートの場所だからだろうか。 普段なら思わないこと、いや、思わないようにしていることを、桜乃は素直に呟いてしまった。 呟いてしまってから慌てて娘の様子を窺うと、彼女は楽しそうに輪投げをやっていた。 その様子に一安心した桜乃は、自分も楽しむことにし、周囲を見渡した。 目に飛び込んでくるのは、煌びやかな光の群れと、セピア色をした過去の思い出達。 (色々失敗しちゃったけど、楽しかったなぁ。) あの日の再現をするように、一緒に見て回った屋台を覗いていく。 けれど再現するには、一番重要なものが欠けていた。 桜乃は今、ひとりだ。 「・・・清純さん。」 桜乃が、ぽつりと呟く。 人波の中でただ突っ立っている彼女は今、二児の母でも千石清純の妻でもなく、ただの女の子だった。 「お母さん?」 控えめに声をかけられ、桜乃は横へと意識をやった。 そこには心配そうな顔をした娘がいて、彼女はあっという間に母親へと戻る。 「・・・お父さん達はどこに行ったのかなって思って。」 桜乃がにこりと笑って見せると、とたんに苦虫を噛んだような顔をした娘が口を開く。 「父さんならあそこにいるじゃん。」 「え?」 前方には、ラムネを高く掲げつつ歩いてくる清純の姿があった。 ―――――――――――――――――――――――――― |