11、記憶の片隅で






 ちらほらと。

 心の片隅で、動くものがある。




(・・・・・・。)

 ここにきてからも頭ン中に時々でてくるソレに、俺は気分を悪くする。
 生まれた時からそうだったという錯覚(さっかく)をしそうな程頻繁に現れるから、
そろそろ慣れてきてもいいんじゃねぇかと思うが、いらつきはむしろ増してく一方だ。

「・・・ったく!」

 そのくせソレを思い出すことは嫌じゃないってことに気付いた時は
腹を抱えて笑いたくなった。


 マジで?嘘だろ。

 この俺を誰だと思ってんだよ。越前リョーガだぜ?


 そんなのはありえねぇ。


(・・・ありえねぇんだよ。)
































12、密会    







「よお、嬢ちゃん。」
「・・・その呼び方、もうそろそろやめてくれませんか?」

 彼女が出来る限り声を低くしてそう告げると、
告げられた人間は愉快そうに唇を歪ませた。

「この呼び方気に食わなかったんだ?じゃあ今度からはお嬢さんって呼ぶことにするか。」
「・・・!リョーガさん!」

 先程より怒った表情に変えてそう言った桜乃を見ながら、リョーガは豪快に笑った。

「・・・もう!」

 まだ怒りながらも、桜乃はリョーガからそんなに遠くないけれど近くもない距離に
すとんと腰を下ろした。


(子供・・・なんだよね、リョーガさんにとっては。)

 お互いに話をしないままぼうっと座っている間に、先程のことを反芻して桜乃はそう思う。

(アメリカには綺麗でナイスバディーなお姉さんがたくさんいるんだよね。)

 そんなお姉さんがいるところにいる間もモテモテ(リョーガ談)だったのなら、
それなりにそれなりのことをしているだろうし、第一自分では子供すぎだろう。

(・・・やだ。何考えてるんだろう私・・・。)

「さーくーの。」

 考えていることに疑問を感じ、それを振り払おうとした時、ふいに声があがった。
 声が聞こえるくらいの距離には桜乃をのぞけば一人しか存在していないのだから、
声の主はその人しかいないのに、彼女には俄(にわ)かには信じられなかった。

 しかし、リョーガは自分の方を見ていて。

「・・・・・・え?」
「・・・桜乃。」

 もう一回。

 ちゃんと目を見ながら言われた自分の名前に、心臓がはねた。
 それほどまでに恥ずかしいのに、けれど桜乃は顔を真っ赤にすることも出来なくて、
ただ呆然とリョーガを見返した。

「ほらな。」
「え?」

 暫く後、リョーガはあきれたといった声色で喋り始めた。

「俺の声が良すぎて、お前見惚れるだろ。」
「・・・み、見惚れてなんかっ!」
「あ、間違えた。聞き惚れるか。」

 図星なので反論できずに、言おうと思っていた言葉を口内で体内(なか)へと押し戻す。


「聞き惚れなくなったら、呼んでやるよ。」
































    13、伝えたかったこと






 夢だと思った。

 目の前にいるってこと。

 また声が聞けてるってこと。


   ―――――    関係することすべて。




「・・・どうして?」

 他に言いたいことはあるのに、一番に発せたのはその言葉だった。

「なんで・・・っ!『でっけー夢』を探しに行ったんじゃないんですか・・・?!」
「・・・さく」


 お元気でしたか?


「リョーガさんには、こんなとこで油売ってる暇なんてないでしょう・・・!」


 どこで何を見てきたんですか?


「今なら最終便に間に合うかもしれません。早くその荷物を持って・・・。」
「サクノ。」


「持ってくださいリョーガさん・・・っ。」


 背中に回されたリョーガさんの手が暖かくて。

 彼に甘えてしまえば、彼に甘え続けてしまう。

 彼に我侭をいってしまう。


 今度こそ、彼を引き止めてしまう。


 そんなのは嫌。



「・・・ここからは旅立たねぇって決めた。」


 言っていることがよく理解出来なくて、素直に疑問をぶつけてみる。

「分からねぇならそれでいいって。」

 リョーガさんはそこで一旦言葉を切って、私の顔をじっと見た。
 ・・・いつもの笑顔。

「というわけだからさ、桜乃もたまにはワガママ言わねぇ?」
「・・・どういうわけですか。」

 あまりにあまりな彼ぶりに、ちょっと拗ねてみせる。
 そうすると、はは、と短く笑ってリョーガさんはさらりと答えた。

「俺って桜乃のこと好きみたいなんだよね。」




 あなたに関係することすべて。

 また声が聞けてるってこと。

 目の前にいるってこと。

 夢だと思った。


 でも違うんですよね。

 ちゃんと。ちゃんと伝わりましたから。


 今度は、私の番です。
































14、八百長しようぜ    







「なぁチビスケ。」

   八百長しようぜ。




「はぁ?」
「だからさー、八百長しようぜっつってんの。」

 背もたれに顎と両腕を置いたまま一回転したリョーガは、
リョーマが見えたところでぴたりと動きを止めた。

「話繋がってないんだけど。」

 確か授業が難しいという話をしていたはずだと確認してから、
リョーマがつっこみをいれる。

「大体さ、なにで勝負するつもりだよ。」

 前みたいにテニスで?と言いつつ冷ややかな視線を向け、
リョーマはやる気がないことをリョーガにアピールした。
 対するリョーガは、飄々とした雰囲気を壊すことなくそれに続ける。

「『どっちが授業についていけるか』ってのはどーだ?」

 その答えを聞いて、リョーマが心底呆れたという表情を作る。

「そんなの勝負にならないじゃん。」
「八百長だし。」

 リョーガがけらけらと笑い続ける理由を理解出来ないし、
なにより邪魔だからでていけと言おうとした途端、意地が悪い案を思いつく。

「・・・ねえ、それってさ、俺が提案してもいいの?」
「なんだチビスケ。なんかいい案でも浮かび上がったわけ?」
「まぁね。『どっちが先に竜崎と恋人になるか』っていうのなんだけど、どう?」
「・・・そんなの勝負にならねぇよ。」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、リョーマは意地悪く笑った。

「八百長だし?」
































    15、幼い気持ち






 声を聞くだけで満足とか。
 姿を見るだけで満足とか。

 男だったらありえねぇだろ。

 ましてやケンゼンナオトコノコだぜ?
 キスだとか、それ以上のことだとかしたいって思うのが当たり前だろ?


(本当にそんな奴がいたら、絶対おかしいぜ。
 もしくはシタゴコロってやつを知らねぇくらい幼いか、だ。)


 それなのに。


 アイツの声が聞えるだけで満足して、アイツの姿を見れるだけで満足する俺がいる。

 会えない分を取り戻そうとするように、毎日アイツのことを思い出してる。



 でもそんな幼い気持ちもいいかと思ってる。


 俺は、おかしい。
































16、「俺を誰だと思ってんだ?」    







「忘れてるかもしれない。」

 チビスケが、すました顔してそんなことを言う。

「ていうか、忘れてておかしくないと思うよ。」
「アイツが俺のこと忘れるかよ。」

 そう言い切ってやると、チビスケは笑った。
 少し会ってなかった間にずいぶんムカツク顔になった。

「アンタのことは覚えてるかもね。」
「チビスケナマイキ。」

 ナマイキなチビスケはそっぽをむく。

 だから、ことさら勝ち誇ったような声で言ってやる。


「俺を誰だと思ってんだ?」


 チビスケがこっちを見る前に走り出す。



 目的は、アイツ。
































    17、真意






 単刀直入に聞くと言った時、嫌そうな顔をした。
 例えば、悪戯がばれて、これから説教を聞かなければいけないと悟った子供のような顔。

「バイトをしているらしいな。」

 クラスメート達が話していた噂はやっぱり本当だったらしい。
 噂をしだした奴は誰だか知らないが、この噂は役に立ったので心の中で礼を言っておく。

「誰から聞いたんだよ。」

 俺が聞いたのは噂話だということを告げると、越前はますます苦い顔になった。

「・・・旅の資金か?」

 茶化しを無視して問うと、越前の視線は窓の外へと移動した。

「セイショウネンにはお金がかかりますのよ部長殿。」


 そうやってふざけて誤魔化そうとする越前の真意は、
窓の外を見る一瞬前に見せた顔が知っているような気がした。
































18、別れ際    







 波の音しか聞えねぇような静かな港。
 人もちらほらとしか見えねぇ静かな場所。
 そんな所に、こいつの静かな声は違和感なく溶け込んだ。

「いいのか。」

 俺の背中に、部長殿の声がかかる。
 機会があったらまた会いましょう的な形式的挨拶が終わって
船に乗り込もうとした矢先のことだ。

「・・・何が。」
「告げなくて、だ。」

 俺の言葉に間髪要れずにそう答えた部長殿はなにも怖いことなどないように思える。

「学校の・・・テニス部の連中や、越前には伝なくていいのか。世話になったのだろう?」

 アイツのことには触れてこないって事は、少し俺を安心させた。

「・・・別にぃ?前もそうやって出てきたから、越前家的には全然オッケーなんだぜ部長殿。」
「そうなのか。」

 それはすまないことを聞いた、と律儀に謝ってくる生真面目な部長殿に、俺は思わず笑う。

「・・・ああ。最後に聞きたいことがある。」
「このさいだからなんでも聞くよ部長殿?」

 わざと茶化して言うと、もう部長ではないのだからその呼び方は止めろと突っ込まれた。
 今更だと軽く言えば、口元が緩む。

「願いはあるか?」
「・・・は?」
「このことは伝えていいのか、伝えていいのならどこまでなら伝えていいのか、
 誰には伝えていいのかとか、お前がここに残す『願い』だ。」
「ようするに、コトヅテってやつ?」
「・・・まぁそんなようなことだ。」

 部長殿の雰囲気に合わせてそう言うと、変な顔をされた。
 どうやら意味は違うらしい。

「特にねぇが・・・。」

 悩む振りをしながら、部長殿に『願い』を託す。

「嬢ちゃんにはチビスケから伝えるように言ってくんねぇ?」
「・・・それはつまり、越前が竜崎に伝えるまでは他に伝えるなということか。」
「そうなるねぇ。」
「・・・・・・。」
「じゃ、よろしく部長殿。」

 聞くんじゃなかったと後悔してそうな顔をやめて俺を見た部長殿を背にして、
船に乗り込む。



 そう。

 嬢ちゃんにはチビスケが伝えなくては。

 カンがそう言ってくるから。
































    19、焼き付いた光景






 リョーガさんを見た。

 始まったばかりだというのに、校門を通り抜けていくリョーガさんを。

 隣には、手塚先輩。


 それが私の中の最後のリョ−ガさん。


 最後の、瞬間。




 それなのに。


 また、彼を見た。

 また、隣には手塚先輩。



 私はまた、都合のいい夢をみているのでしょうか。
































20、越前リョーガ    







「二度と日本には帰ってこないって素振り見せといてこれかよ。」
「本当だよ。」
「それが俺だもんよ。」

 言いながら、リョーガが俺達に近付く。
 近付いてきた理由が分からない竜崎に代わり、狙いを知っている俺はわざと近付く。

「こういうこと自信マンマンにいうとこがむかつく。」
「もうちょっと押さえて欲しいって思う時あるよね。」
「ていうかさ、俺、日本に帰ってこねぇとは言ってねぇよな。」
「『俺は一度離れたとこには戻らねぇ性質(たち)なんだ』とか言ってたじゃないですか。」
「お、覚えててくれたのかよ〜。愛の力かぁ?」
「な・・・っ!へ、変なこと言わないでください!」
「ヘンなことじゃねぇよ。」

 いつの間にか後ろに回っていたリョーガが、竜崎の体をがっちり捕らえた。
 俺と同じようにオヤジに直接テニスを教わったらしいけど、
こういうトコも受け継いでるからムカツクし。
 なにより竜崎を盗んでいったことがムカツク。


 でも俺諦めるなんて一言も言ってないからな、リョーガ。