1、オレンジ






 どうぞ、という言葉とともに差し出されたそれに、俺は軽い戸惑いを覚えた。




「オレンジ・・・・・・?」

 いつも丸ごと食べているそれは、桜乃の手によって綺麗に切り分けられていて、
まるで違うもののように映った。

「・・・あの、お好きでしたよね、オレンジ・・・。」

 俺の様子を伺うように見てきながら、桜乃が小さく声を出す。
 いつもと違ってあまり反応を返さない俺に不安を感じてんだろうな。
 その証拠に目と声で不安だと訴えてくる桜乃をじっと見た後で、皿の上のオレンジを見る。

(行儀よく並べられたオレンジ・・・か。)


 黒く、傷だらけの皮を抱えたそれをまるかじりするのと、
ほとんど傷もないそれを丁寧に切り分けて食べるのと。

 正反対とはいかなくても、同じじゃないよな。


 ――――― だから一生交わらないと思っていたのに。



「オレンジ好きだけど。何?俺に気ぃ使ってくれちゃったわけ?」


 わざとちゃかすようにそう言えば、桜乃は怒ったふりをしながらも嬉しそうにした。

 ま、たまにはこんな食べ方してみてもいいよな。
































2、不敵な笑み    







 アンタのその笑い方、気に入らないんだけど。



 いつだったか、親父にそんなようなことを言ったら、

「おめぇも似たような笑い方してるぜ?」

 と言われ、そばで聞いていたらしい母さんには

「あら。じゃあ親子揃ってリョーマの気に入らない笑い方してるってことね。」

 と、微笑みながら言われた。

 別に、老人じゃないから昔を懐かしんでそんなこと回想してるんじゃない。
 ただ、今いるここにはあの時と同じような空気が流れているから思い出しただけだ。




「俺も気に入っちゃったから。・・・本気で奪わせてもらうぜ。」

 目の前で、よく似てると評される顔が笑う。

「・・・アンタのその笑い方、気に入らないんだけど。」

 そう言ってやると、アンタはまた笑って、予想通りの言葉を吐いた。


「チビスケも似たような笑い方してるぜ?」
































    3、再会






「あ・・・!」

 少しの間だけ一緒にいたあの人を見つけて、思わず声をだしてしまうと、
案の定朋ちゃんが怪訝(けげん)な顔をしてこっちを見た。

「あって何なのよ桜乃。」
「えーっと・・・。朋ちゃん、あの人知ってる?」
「え?・・・あー。リョーマ様のお兄様でしょ?知ってる知ってる。」
「お兄さん?」
「うん。自称らしいけどね。」

 自称兄ってどういう意味だろうと一瞬思ったけど、あの人ならさらりと言ってのけて
しまいそうだと、一瞬後には逆に妙に納得してしまった。

「名前は越前リョーガ。ええと、三年一組、手塚先輩のクラスに転入したらしいよ。」
「手塚先輩のクラスかぁ・・・。」
「そうそう。前に一度会ったことがあるらしくて、手塚先輩、リョーガ先輩の
 世話を先生に任されちゃったんだって。」
「そうなんだ。」

 優しいけど生真面目な手塚先輩と、どこか掴みどころのないリョーガさん。

(きっと、自由奔放なリョーガさんに手塚先輩が手を焼いてるんだろうな。)

 容易に想像できた二人の関係に笑いそうになって、顔に出る前に慌てて止めようとする。
 けれど、顔が笑うのを止めるのは難しくて、
声を出さないことに一生懸命になるしかなかった。
 幸いだったのは、そんな私を朋ちゃんには気付かれなかったこと。

「でもさ、『リョーガ』って『リョーマ』に似てるよね。流石リョーマ様のお兄様って感じ。」


 違うよ。


「え、何桜乃?」
「・・・え?私、何か言った?」
「あれ?おっかしいな。私の聞き間違いかな?・・・ま、いっか。行こ桜乃!」
「ま、待ってよ朋ちゃん・・・!」

 首を傾げつつも歩いていく朋ちゃんの背中を、私は疑問を胸に抱きつつ追いかけたのだった。
































4、チビスケ    







「ようチビスケ。」

 そう呼びかけられて、いらいらしてくる。

「・・・何。」

 振り返りもせずに適当に返事をすると、リョーガは笑いながら横に並んできた。

「なぁーに怒ってんのかなぁ?チビスケくんは。」
「・・・・・・別に、怒ってなんかないけど。」
「嘘がヘタだねぇ。」

 するりと前に回られて、不機嫌なのを隠そうとせず睨むと、
リョーガは楽しそうににやっと笑った。

「お前やっぱ自分がチビなこと気にしてんの?」
「は?」
「だってよ、俺が話しかける前までは機嫌悪くなかったじゃん?」
「・・・・・・・・・。」

 流石自称兄貴なだけあるじゃん。

 けど、不機嫌になった理由はそんなことじゃない。

(まだまだだね。)

 理由が違ってたって、別にかまわない。
 ていうか、そのまま勘違いしてくれてた方が有利だよね。

「・・・チビスケも男ってわけか。」

 その言葉で弾かれたようにリョーガの顔を見てしまう。

「ま、せいぜい頑張れや。」


 リョーガ。

 アンタ、最後の言葉はどんな意図ではいたんだ。
































    5、そこにある感情






「よ、嬢ちゃん。」
「リョーガさん。こんにちは。」
「おう。」



 最近、越前リョーガと竜崎が会話している場面をよく見かける。
 それは今のように挨拶しているものや日常会話だったりするのだが、
ほとんど接点のない二人がこうやって親しげにしていることに多少不自然な感じを受けた。

 二人はどこで知り合ったのだろうかと考えてみれば、
一番最初に浮かび上がるのはやはり、越前リョーマだろう。

 二人は兄弟だと発言するだけあり、顔が似ている。
 それくらい越前にそっくりなリョ−ガを見た竜崎が、
越前と勘違いして声をかけたかなにかした、
と結論づけるのが一番正解に近いと思うのだが、実際のところはどうなのだろうか。

(事実を知りたいなら、本人に聞くのが一番手っ取り早いんだが・・・。)

 聞くのは簡単だ。
 けれど。

(俺は竜崎の顔を曇らせたくないのかもしれない・・・。)



 越前リョーガという奴は、不謹慎なところがあって軽い奴だと思うが、けして悪い奴ではない。
 あいつは青学にはあまりいない種類の人間だから、きっといい刺激になる。
 なにより竜崎が笑顔でいることが、俺には重要だった。

(今の竜崎にはあいつという存在が大切なのかもしれんな・・・。)


 本人が自覚しているのか。

 何故竜崎と接触するのか。

 ・・・そこにある感情がなんなのか。



 分からなくても、二人がそこにいることが大切に思えた。
































6、「まだまだだぜ」    







「リョーガ!」
「おっと。」

 自分にむけられた拳をぎりぎりでかわし、その拳を手の平で受け止めながら、
リョーガはにやにや笑いをリョーマにむけた。
 そんなリョーガを見て、リョーマは怒りをますます露(あら)わにする。

「なにを・・・!竜崎に何をしたっ!!!」
「・・・何をしたもなにも、何もしてないけど?」
「っ・・・!嘘をつくな!」

 リョーマは力任せに腕を振り回すと、リョーガの手から自分の腕を取り返した。
 取り返したと同時に、リョーガの脇腹に蹴りをお見舞いする。

「つっ・・・!・・・今のはきいたぜチビスケ。」
「・・・・・・。」

 脇腹を押さえていたリョーガが、蹴りを入れられた部分に手をあてながら立ち上がる。
 二人とも無言で戦闘態勢に入る。

「何をしている越前。」
「部長・・・?!」
「よぉ部長殿。」

 今にも喧嘩に発展しそうな二人の間に立ち、その雰囲気を平然と壊した手塚は、
二人をゆっくりと見比べながら声をだした。

「一体ここで何をしようとしていた。」
「部長殿も結構イジワルだねぇ。・・・さっきの見りゃ一目瞭然でしょ。」
「・・・部長、悪いんですけど邪魔しないでくれないッスか。」
「悪いと思っているならさっさと家へ帰れ。下校時刻はとっくに過ぎている。」
「部長!」
「リョーガだと、まだ決まったわけではないだろう、越前。」
「・・・・・・絶対コイツに決まってる・・・っ!」
「いかなる時も確率は0%ではない。」

 リョーガが囃(はや)し立てるようにヒューと口笛を吹く。

「その言い方から考えるに、部長様も俺が犯人だって思ってることは思ってんのね。」

 答えない手塚に気を悪くするどころか、なんとなく嬉しそうにしながら、
リョーガが続けて喋る。

「それなのになんでチビスケをとめようとすんの?部長の努めってヤツ?」
「・・・一番の理由は別にある。」


 次に手塚が発した言葉は、我を忘れるほど激昂しているリョーマと、自分のことなのに
まるで第三者のように事の成り行きをみているリョーガに、大きな衝撃を与えた。




(・・・さすが部長様だぜ。)

 リョーマを見ていたリョーガは、次に彼の隣を歩いている手塚を見た。
 たった一言で彼と彼の弟を黙らせた手塚に、彼は内心で舌を巻いた。

 手塚は先の一言で彼ら兄弟の喧嘩を完全に止めた。
 完全に、この件で後にも先にも彼らに喧嘩をさせないようにしたのだ。
 更には、止めるだけでなく気付かせた。

 彼女のためと言いつつ自分のために動いているということを。
 そのせいで傷つくのは、他ならぬ彼女だということを。

「・・・俺もチビスケも、まだまだだぜ・・・・・・。」

 水を打ったように静かになった校舎裏で、リョーガは言い聞かせるようにぽつりと呟いた。
































    7、でっけー夢






 燃えているようにも見える草むらで、桜乃はその可愛らしい顔を右へと揺らした。

「・・・でっけー夢、ですか?」
「おう。俺は親父にそれを持てって言われながら育てられたんだ。」

 草と同じように赤く染まった顔で、リョーガはどこか誇らしげにそう言った。

「久し振りに再会したってのによ、第一声が『でっけー夢見つけたか?』だぜ?
 まぁ、親父って感じがして嬉しかったけどな。」

 笑うリョーガにつられて、桜乃も控えめに笑う。
 それに気を良くしたのか、リョーガは笑いを深くする。

「・・・でも、でっけー夢探し出せなかったってのはかっこわりーよなぁ・・・。」


 リョーガの言葉に桜乃の肩は小さく震えたけれど、
そのことに、リョーガはおろか本人でさえも気付かなかった。
































8、懐かしい背中    







 またあの光景を見た。

 懐かしい背中と焦がれている背中。



 ・・・アイツとあいつが一緒にいるトコロ。



 あいつが俺以外のヤツと一緒にいるトコロを見ても、
こんな感情を持つことなんてなかった。

 あいつを、周囲を、俺を、・・・すべてを。

 アイツがすべて急速に変えていってしまう。

 俺は、アイツが嫌いだ。

 あいつに笑いかけてるアイツが嫌いだ。


 ・・・ココに転入してきてからのアイツが嫌いだ。




 背中はまだ、こんなに懐かしいものなのに。
































    9、消えたアイツ






 最初は分からなかったけれど、暫(しばら)くしてなんとなく理解した。

「そっか。」

 前からそんな雰囲気にふと気付くことがあった。
 手塚先輩といるとき、リョーマ君といるとき、テニスをやっているとき、

 二人で話してるとき。

 例えばそんなときにぎくりとしたことがあったことを思い出す。

「そうだと思ってた・・・・・・っていうのはなんか変だよね。」

 こんな時なのに私は笑った。リョーマ君が目を一度閉じる。
 目を閉じたままのリョーマ君はつらそうで、見ていて悲しくなってしまう。

 そんな風に、私の頭はいつも通り動いている。

「・・・・・・大丈夫か?」

 ふいにそう聞いてきてくれたリョーマ君は、怒りと悲しみを抱えているように思えた。

 そんなリョーマ君からアイツが消えたと、もう一度言われた。
































10、兄弟    







 兄弟なんていらない。


 そう言ったら母さんに笑われた。
 お兄ちゃんが欲しいって駄々こねたくせに、だって。
 覚えてないの?とも言われたけど、三歳の時の話なんだろ?
 忘れたに決まってんじゃん。



 兄弟なんていらない。


 後からきたくせに平気な顔して盗っていくから。



 だから、兄なんていらない。