やきもちを焼く






 その週は、桜乃がいる列が教室の掃除当番で。

「掃除頑張ってね桜乃〜!」
「うん。またね朋ちゃん。」

 忙しそうに(実際に忙しいのだけれど)去っていく朋香を見送った後、
桜乃は改めて教室を見た。
 教室の中はたった一日過ごしただけだというのにすごい散らかりようで、
思わず溜め息を吐かずにはいられなかった。




「・・・・・・あれ?」

 それから少しして、集めたごみをごみ箱に捨てようとした桜乃は、
いつもの光景を見た。

「・・・後はごみ捨てだけだし、いいか。」


 桜乃はそう呟いた後、ごみ箱を持って無人の教室を出た。







  がろん・・・

 桜乃が一歩踏み出すたびごみ箱から音がする。
 多分中に、固くて小さい何かが入っているのだろう。

(燃えるごみ以外はごみ箱に捨てちゃいけないのに・・・。)

 そう思いつつ廊下を歩いていて、窓越しに塀の上を歩いて行く猫を発見し、
横を向く。
 でも隣には誰もいない。

(・・・当たり前だよね。いないんだもん。)


 桜乃と同じ週に掃除当番の子達も。
 仲の良い友達も。
 おばあちゃんも。
 朋ちゃんも。

『なんで誰にも言わないのよ!』

 桜乃の脳内に、明るく気の強い親友の声が響く。

 これは、たまたま学校に忘れ物を取りに戻ってきた朋香が、
桜乃の『現状』を見た時言った言葉。
 桜乃を気遣って言ってくれた言葉。
 朋香は憤慨して「連中に文句言ってやる!」と言ったが、桜乃は嘘をついた。
 今日は私以外は大事な用事があるんだって。
 だからたまたまいないだけなの、と。

 朋香が教室内でいばっているグループに目を付けられていることを知っていたから。
 だから嘘をついて朋香を止めた。

 でもやっぱり悲しくて。

(私達は悪いことなんてしてない)

 してないのにこんな風に生きることしか出来ないのが悔しくて。
 苦しくて苦しくて苦しくて。
 泣いてしまいそうになった時に、あなたが現れてくれたから。





「不二先輩・・・。」

 廊下の向こうの方にいる人物の名前を、桜乃が小さく発する。
 するとその人物は、声に気付いたかのようなタイミングで桜乃の方に目線を動かした。
 桜乃は、不二のところへ急いだ。

「こ、こんにちは。」
「うん、こんにちは。」

 桜乃の言葉に不二はそう答える。
 そんな不二を見て、桜乃は首を傾げた。
 そして、ああ!と小さく呟いてから、不思議そうな顔をしている不二に、
慌てた様子で告げた。

「ご、ごめんなさい!今晩はでしたっけ?!」
「・・・ぷっ!」

 静寂に包まれていた廊下が、不二の笑い声でにわかに騒がしくなる。
 笑われている桜乃はなんで笑われているのかもどう対応したらいいのかも
分からなくて、おろおろすろばかり。

「ご、ごめん・・・!・・ついっ・・・・あはは!」
「は、はあ・・・。」

 途切れ途切れでそう言う不二に、桜乃はやや困惑気味にそう答える。
 不二が笑っている理由が分からないので、しょうがないといえばしょうがない。

「本当にごめん。お詫びに家まで送るよ。」
「・・・え?!」

 笑い終えた不二が、笑っている時に落としてしまった鞄を拾いながらそう言った。
 これは彼女にとって数少ないチャンスだが、恥ずかしいのと申し訳ないのとで、
桜乃は断ろうとした。

「こんなに暗いのに女の子一人で帰したら、僕の人間性が疑われちゃうし、
 なにより竜崎先生に怒られてしまうよね。」

 笑顔でそんなこと言われてしまったら、桜乃にはもう何も言えなかった。




「でもどうして急にあんなこと言ったの?」

 横を歩く不二にそう言われ、桜乃はまた首を傾げた。

「今ぐらいだったらこんにちはでも今晩はでもいいと思うんだけど。」

 その言葉でようやく不二が聞きたいことが分かって、桜乃は宙に視線を泳がせた。

「え、えと、私の思い違いだと思うから・・・。」
「うん。でも聞かせてくれる?」

 逃げようとしてもやんわりとした口調で退路を閉ざす不二を前に、
桜乃は覚悟を決める。

「・・・ふ、不二先輩が、複雑そうな顔をしてたから…。」

 言っているうちに段々桜乃の顔が下がっていってしまう。

「だから間違ってるのかなあって思って。」

 そこまで言い切って、桜乃は不二の反応を待った。
 けれど少し経っても何の反応も返さない不二に、桜乃はとたんに不安になり、
顔を上げた。

 顔を上げた時桜乃が一瞬見たものは、不二の驚いたような表情だった。


「不二先輩?」
「あ、ごめん。・・・歩こうか。」

 言いつつ止まっていた足を動かす不二に、桜乃も合わせる。

(・・・歩調、さっきより早い。)

 そっと隣を歩く不二を覗き見ると、なんだか切羽詰ったような顔をしていて、
桜乃は自分の胸が詰まった気がした。

(・・・今も戦ってるのかな、『何か』と。)

  『何か』と戦っている ――

 それは初めて会ったあの日、不二に対して桜乃が感じたこと。

 『何か』の正体は分からない。

 今隣にいる不二が戦っている『何か』と、あの日の不二が戦っている『何か』が
同じかどうかも桜乃には分からない。

(・・・菊丸先輩には言うのかな、こういうこと。)

 親友が恋しているヒトを思い浮かべると、あの笑顔が浮かんできて。
 桜乃は、人好きが良さそうなその笑顔の主をちょっと恨んでしまう。

(お姉さんとか、弟さんとか、お母さんとか、お父さんとか、親友とか・・・)



(・・・・・・・・・恋人になら、話してくれるのだろうか)


『・・・やける?』

 言葉というものは自分にかえってくるもの、なんて言葉を聞いたことがあるけれど。


「・・・桜乃ちゃん?」


 本当にそうなんだなあ。

 そう桜乃は実感した。


「どうしたの?何かあった?」
「不二先輩のことが好きです。」




「他の誰が不二先輩のことを好きでも、・・・好かれていたとしても。」


「私は、不二先輩のことが好きなんです。」


「桜乃ちゃ・・・」
「今は。」


「何も言わないでください。」


「・・・失礼します。」

 そう淡々と語る桜乃に、不二は呆然とした。

 夜の道を小走りで進んでいく桜乃を見ても、追いかけることも、
その素振りすらしなかった。







  何も出来なかった。





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