「昨日桜乃ちゃんに振られちゃった。」

 英二の能天気な声が屋上で響いた。





髪に触れる








「え・・・?」
「『好きな人がいます。』って一刀両断。案外容赦ないよねー。」

 あははと笑いながらそんなことを言ってくる英二に、僕はついてくことが出来ない。

「・・・これから酷いこと言うと思うけど言わせてもらっていい?」
「どぞどぞ。」
「あんなに好きだって言ってたのになんで笑ってるの?」

 一瞬考え込んだ後、英二は満面の笑顔で言った。

「好きじゃなかったからじゃない?」


「ふ、不二、お、落ち着いてよ、ね?」

 身の危険を感じたのか、英二が宥(なだ)めてくるが、
そんなことで宥められるくらいなら最初から怒ったりはしない。
 でもこうして怒っていても話は先に進まないので、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

「にゃーんかさ、違ったんだよ。」

 そんな僕の厚意を無駄にするようなことを、
朝買ってきたらしいヨーグルトの蓋を開けながら英二が言った。

「違った?」

 色々突っ込みたいのを我慢して聞き返す。

「そ。好きだけど恋じゃなかったっていうか。」



「ギ、ギブ・・・。」

 気がついたら僕の手は英二の首を絞めていた。
 このままでも良かったんだけど、話は最後まで聞いておこうと思って手を離す。
 英二がごほごほと咳(せき)をした後、涙目で僕に叫んだ。

「にゃ、にゃんで不二が怒るのさー!」
「桜乃ちゃんのことが好きだからじゃない?」

 英二の動きが止まる。


「はあ?」
「桜乃ちゃんのこと好きなんだよ、僕は。」

 英二の目が真剣になる。

「何ソレ。俺が桜乃ちゃんのこと好きだって言ってたから今まで我慢してたってこと?」
「違うよ。」
「じゃあなんだよ。」
「自分で考えてたより英二のこと好きみたいだから。あ、好きだったか。」

 再び英二の動きが止まる。


「・・・はあ?!」

 さっきより幾分か間抜けな声でそう言う英二を見ながら、僕は飽くまでさらりと答えた。

「だから僕は英二のこと好きだったんだって。」
「あ、もうこんな時間だ!教室に帰ろっかな〜。」
「まだ話終わってないのにどこ行こうとしてるの英二。」
「不二が変なこと言うからだろ〜?!」

 僕と距離を置きながら、英二が涙声で訴えてくる。

「何勘違いしてるの。僕は桜乃ちゃんが好きだって言ったじゃない。」
「へ?・・・あ、そうだったそうだった。」

 そう言ってやると、英二はまた元の調子に戻って僕の側に座った。
 英二ってホント、単純だよね。

「英二が桜乃ちゃんのこと好きだって言ってた頃は、まだ分かってなかったんだ。」
「何を?」
「桜乃ちゃんに対する好きが恋なのかそうでないのか。」

 英二は大袈裟な仕草で僕に同意した。
 ・・・そういう行動は気が抜けるからやめてくれないかな。

「だから英二にも言えなかった。・・・いや、英二だから言えなかった。」

 隣に座っている英二が、僕のことをじっと見ているのが分かる。

「その人のことを本当に好きだって思っている親友に、
 『君と同じ人のこと好きかもしれない』なんて、英二だって言えないでしょ?
 それに、『好きかも』なんて生半可な気持ちじゃ勝てっこないし。」
「それって好きって言ってるようなもんじゃん・・・。」

 英二が呆れたように言うのを聞いて、僕もそう思う、と返す。

「でもあの時の僕はそのことに気付かなかったんだ。
 片思いを楽しむ余裕さえ僕にはなかった。・・・相手が英二だったから。」

 僕の隣で神妙な顔つきをしている英二に、一言言ってやる。

「だから好きじゃなかったとかなんか違ったとかあっさり言われると
 すごくむかつくんだけどね?」

 英二がとたんにびくつく。

「・・・だって最初は・・・って、今だって好きだけど!
 なんていうか、俺達に近づいてくる女の子達とは全然違うし、
 気になるって感じだったんだよ。
 ・・・つーか昨日までは桜乃ちゃんが好きだと思い込んでたの!」

 英二が急に腕をばたつかせた。

「なんで逆切れしてるの。」
「うるさーい!うるさいうるさいうるさーい!」

 何回も同じ言葉を繰り返して、やっと英二は腕をばたつかせるのを止めた。

「・・・昨日の部活が始まる前、桜乃ちゃんが一人でいたんだ。
 だからチャンスって思ったんだけど、同時にあれ?って思う自分もいたんだ。
 桜乃ちゃんを見てもいつもみたいな気持ちにならない自分がいて、不思議だった。」
「・・・・・・。」
「で、そんな気持ちをなかったことにして桜乃ちゃんに告ったんだ。好きですって。」

 英二はそこで一旦言葉を切った。

「不二はさ、その後桜乃ちゃんになんて言われたと思う?」
「・・・さあ。僕には分からないよ。」

 本当に分からなかったので素直にそう言うと、英二はよく女子に可愛いとか言われて
いる顔をにんっと悪戯っ子のように歪ませた。


『菊丸先輩が好きなのは私じゃないでしょう?
 その言葉は本当に好きな人だけにしか言っちゃいけないんですよ。』


「でも俺も粘ってみたわけ。
 俺のホントの気持ちは桜乃ちゃんに分かるわけないじゃんってね。」


『・・・分からないかもしれません。
 でも親友の・・・朋ちゃんの横で、朋ちゃんのことを見ている先輩を見ていた私には、
 少なくとも私より朋ちゃんのことを好きだって、そう思えるんです。』

『それに、先輩の今の顔を見たら誰だってそう思いますよ?』


「って言われちった。俺、自分で自分が情けなくてしょうがなかった。」

 そこまで一気に言って、英二は屋上の壁に体を預けた。
 僕はそんな英二の横で、桜乃ちゃんらしいなぁと思った。

 しばらく空を見ていた英二は、僕の方をちらっと見ると、うん!と一人で納得した。

「ここまで言ったんだからついでに言っとく。」
「?」

 体を起こしてまで話しかけてくる英二に疑問を持ちながら、その声に耳を傾ける。

「別れ際にね、悔し紛れに『俺が本当に桜乃ちゃんに惚れてたら、
 桜乃ちゃんはなんて返してくれたの?』って聞いてみたんだ。」
「・・・英二。」
「にゃははは。」

 無邪気にめんごなんて言っている英二の顔を見れば、
面白くてしょうがないと思っていることが丸わかりだ。

「で、桜乃ちゃんがなんて言ったかっていうと!」


『例え英二先輩が私のことを本気で好きでも、
 私には好きな人がいるからその想いに答えることは出来ません。』


「だってさ不二。」
「何が言いたいの?」

 英二は驚きを隠せないって顔をしたけど、すぐに真剣な顔に戻した。

「だからぁ・・・。桜乃ちゃんが好きなのは不二だって言いたいの!」
「そうだろうね。」
「はっ?!」

 何それ!某学校の俺様じゃないんだからそんなこと言うなよ!
なんて騒ぐ英二を無視し、さっきは英二が見ていた空を見た。

「・・・昨日告白されたから。」

 だから知ってる、と呟く僕の背中を、英二がばしんと叩く。

「いったあ〜・・・。」
「なら告白するべーし!」

 痛がっている僕を完全に無視して、英二が親指を立てる。

「不二の気持ちも決まってるんだし、いけいけ〜!」
「・・・ありがと英二。」


 無理矢理授業をさぼらされた甲斐があったってものだよ。
 仕返しにとその一言を残して、僕は屋上を去った。








 大分人がいなくなってきている校内を走る。

 ―――― 目的は長い三つ編みが特徴的なあの子。


 だけれど、教室でも彼女がいつも自主練をしている場所でも、
彼女の姿を見つけることが出来なかった。

(・・・ずっと気持ちをはぐらかしていた僕への罰かな。)

 今日はもう帰った方がいいかもしれないと思っていた矢先に、
扉が少し開いている音楽室が眼に留まった。
 まるで引き寄せられていくようにそっと近づくと、中に人がいることが分かった。


「・・・・・・。」


 その人物は、グランドピアノの鍵盤の上ですやすやと眠っていた。

(見つからないわけだ・・・。)

 足音を立てない様に注意深く足を進める。

(起こすっていう手もあるけど・・・。せっかくだしね。)


 そういえば顔をじっくり見るのは初めてだと思いつつ、少女のすぐ側に立つ。
 昨日一緒に帰ったというのに、『側に立つ』という行動も初めてのような気がする。



 ・・・いっぱい酷いこともしたと思うけど、その分幸せにしてあげるから。
 だから、覚悟しておいてね?



 未だ目覚める気配のない彼女の三つ編みを手の中で弄びつつ、
心の中で宣言する。


 目を覚ました彼女がどんな顔をするのか。



  ――― 楽しみだよね。





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