例えばの話。


 「今日母の日だよね」とか言われると、サイアク。





■ 最悪な日





 どうサイアクかと言えば、

 あいつってお母さんいるのかなとか、

 聞いてみたら「いない」とか「顔知らねぇ」とか言われたらどうしようとか、

 あいつのお母さんってどんな人なのかなとか、

 私と気が合うかなとか。



 そんなことばっかり浮かんできて、集中力が続かなくなるからサイアク。

 サクラとかにからかわれるからサイアク。

 あいつにそれを見られるからサイアク。



 あいつのことを好きな自分に気付いてしまうから、サイアク。




 決してお母さんが嫌いなわけじゃない。(むしろ仲が良い方だと思う。)

 けど私にとって、「母の日」はサイアクの日。







一言めるふぉ時代の御礼文です。
題材は母の日。
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■ Remembrance



  アレン君ってお母さんのこと、覚えてるのかな?



 誰に聞かせるつもりもなくぽつりと呟けば、兄さんが言葉を返してくれた。

「さあ?ボクにも分かんないや。」
「・・・そうだよね。」


 ここでどんなに考えていても、本人にしかそれは分からない。
 でも簡単には聞けなくて、こうやって考えてみてる。


「ああでも、育ての親に会う前のことは覚えてない可能性は高いよ。」
「どうして?」
「生まれた時から寄生型イノセンスを持ってたから。」


 そうだ。   ――― そうだよね。


 一般人にしてみれば、私達は奇怪で異質な存在で、畏怖の対象。

 いうなればアクマと同じ。

 そんな存在を生んでしまった母親はどう思うのだろう?

 きっと大部分の人は、愛情なんてそそげない。


 子供を生んだこともない、ましてやエクソシストである私には、
それはきっと、一生分からないことだろうけれど。


(分からなくていい、そんな感情。)



 だって私はそそげるもの。

 大事な仲間だから。

 大切な人だから。



「お母さんのことは、もういいや。」
「ん、なに?」
「なんでもなーい。」



 だから、どんなに寂しく苦しい記憶だとしても。



 ―――― 私のことだけは、覚えていて。







自己完結しちゃってるリナリー。
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