バレンタインのその後で





「さっくのー!」

 大勢の学生が帰路につこうとしている校庭で大声をあげたのは、立海大付属高校男子テニス部正レギュラー、切原赤也だった。
 赤也の叫びを聞いた者の中には声量の大きさに驚き振り返る者もいたが、切原赤也の叫び声はもはや普通のことと認識され初めているため、一瞬後には皆何事もなかったかのように校門へと足を進めた。
 そんな中で唯一人、迷惑そうな表情を浮かべながら赤也を見ている少女がいた。
 赤也が大声で叫んだ名前の持ち主である。

「・・・何?」

 話しかけるなというオーラを微塵も隠さずに放ちつつ、少女 ―― 桜乃が赤也に対応する。
 悲しいかな、桜乃のそんな態度にも慣れてしまった赤也は少しも気にせず、桜乃へと小さな箱を手渡す。

「ホワイトデーのお返しっ!」

 なんなのこれ、とでもいうような冷たい視線を投げつけてくる桜乃に、上機嫌のまま赤也がそう説明する。
 それを聞いて、今まで少しも変わらなかった桜乃の表情が変化した。
 意外に高そうな包装紙に包まれている小箱を玩(もてあそ)びながら、桜乃がぽつりと零す。

「義理だったのに。」
「それでもいいじゃん!俺はすげー嬉しかったし!」

 桜乃の表情が少し柔らかいものへと変わったことが嬉しかったらしく、赤也の声は弾む。
 何がそんなに嬉しいのか、うきうきとしゃべりまくっている赤也を見ていた桜乃は、ふとバレンタインデーにあげたチョコを思いだしてみようとしたが、無理だった。
 だって赤也にあげたチョコレートは。

 大好きな人へ送る分が完成した後に、余ったチョコで適当に作ったチョコ。
 目の前の男がチョコをせがみにくることは容易に予想出来るからってだけで作ったチョコ。

 本命チョコが思った以上に上手く出来たことで浮かれていたし、赤也君だしどうでもいいやって気持ちで作ったからそれに関する記憶はほとんどない。

(それなのに、嬉しいんだ。)


「ふーん。」

 桜乃は小さくそう呟くと、僅かに微笑んだ。
 それを目撃した赤也は、彼女のレアな笑顔を見れたことで浮かれ始める。

(ちょ・・・!桜乃俺のこと好きになりかけてねぇ?!)

 桜乃が聞いていたら『赤也君のクセに調子付くな』と一刀両断されそうな台詞だが、赤也にとって幸いなことは、これは彼の心の声であるため、本人にしか聞けないことである。

 そして、赤也にとってこの日最大の不幸は、浮かれるあまり、彼にとって最強の恋敵である真田弦一郎が桜乃の名前を呼んだことに気がつかなかったこと。
 当然桜乃は真田の元に一目散に走っていってしまったので、赤也は自力で正気に戻るまで、寒空の下でずっと立っていることになったのでした。





練り雨の漫画のホワイトデーバージョンです。
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