5.繰り返されぬ分岐点






「竜崎・・・」


掠れたような声に、自分でも驚いた。
何か、理解し難いことが起きたのに頭の中は妙にクリアで、
今聞いた事実を都合よく拒絶することが出来ない。
掲げたナイフが疲れの為か小刻みに揺れていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

胸元で両手を握り締めて、桜乃は涙を堪えている。

「なにに?」

彼女の泣き顔は苦手だ。
差し出したくなる手がもどかしいくせに、あいた片手は一ミリも動いていない。

「何に対して誤ってんの?」
「リョーマくん・・・」
「なんで誤るんだよっ!欺(あざむ)いてたとでも言うのか!?」
「違うっ!」

恫喝(どうかつ)に、悲痛な声が重なる。

「なんで青竜に来た?」
「・・・・・・・」
「なんで俺達の側に?」
「・・・・・・・」

感情を抑えた矢継ぎ早な質問に、桜乃は何も言わず首を振る。
何か言おうとして、なにも言葉が見つからないのか、唇は不自然な形を作ってゆく。

「父親の手先なのか?」

だとしたら、さっきまでの哀しみにくれた彼女はなんだったんだろう・・・・?

(分からない)

困惑するリョーマを跡部景吾は観察するように見ている。
この混乱の渦中にいるのに、彼の回りには別の風が吹いているようだった。
それが、余計に混乱を招く。

「リョーマくん・・・・・」

深い海の真中で途方もなく広がる海面を前に、迷子になってしまった、
そんな顔を桜乃は浮かべている。
支えるものは頼りない小船しかなく限りなく不安定。
そう考えて、リョーマは自嘲気味に唇を歪めた。
違う、迷子になっているのは自分のほうだ。

「あんたに騙されるのはすごい疲れる」

他の誰でもない、桜乃だけには。
口の中だけで呟くと、聞き取れなかったのか桜乃が半歩足を出した。
今度は聞こえる声でキッパリと告げる。

「動くなっ」

びくっと肩を震わせた桜乃の足が動きを止めた。

「なんや、ちょっと突いたくらいで大した騒ぎやな」

呆れたような忍足の声は完全に場違いな雰囲気でもって二人の間を通り抜ける。

「あかん、深刻過ぎるのは性に合わん」
「あんたは黙ってなよ」
「手厳しいわ・・・」

取り付く島もないリョーマに、忍足は肩を竦めた。
と、

「なんも分かっちゃいねぇなぁ」

それまで黙っていた跡部の嘲笑するような声音に、リョーマの片眉は跳ね上がる。

「お前には何も見えていないのか?アーン」
「どういうことだ?」
「お前の父親はもっと冷静に物事を見抜いてたぜ」
「・・・・親父・・・どうして親父を?」

リョーマの釣り上がり気味の瞳が跡部を捕えた。
驚愕、疑念、探るような瞳の奥にはそうした複雑な感情が渦を巻いている。

「三つだ」

対峙する二人はとても対照的に見える。
跡部は出来の悪い生徒にでも聞かせるように、殊更ゆっくりと言ってみせる。

「その状況で敵が誰か、自分は何をすればいいか、そして何が出来るか、
 この三つを見極めなければいけない。
 お前にはそれが出来ていない」

苦渋に満ちた表情に、跡部は更に追い討ちをかけた。

「だから一人で逃がされるんだよ」
「なっ・・・・・」

”一人で逃がされる”その言葉に思い浮かぶのは一つしかない。
情景が一気にリョーマの脳に押し寄せた。



『  逃げろっ!  』



炎が、激昂するリョーマの前に壁を作った。
いつもそこまでを夢に見る。
が、リョーマはあることに気づいた。
焦点を合わせなかったカ所、アイツの奥にもう一人シルエットがある。

「・・・・・まさか、あんた・・・・」
「”越前リョーマ”だよな、確か。俺はお前を知ってるぜ」

ドクンと鼓動が跳ね上がる音が耳の奥で木霊した。
意識の片隅でその音を聞きながら、視界が赤く染まる錯覚を見る。
フラッシュバックする記憶達。
過去、過去、過去−−−−−−−−−。
それらは全て一つの顔で繋がっていた。



『   俺も後から行く   』



しかし、彼は来なかった。
来なかったのだ。



「お前が親父をっ!!」

怒りに染まった顔を向けられて、跡部は不快にするどころかその顔に狂喜すら浮かべていた。

「そうだ、能力者の中でも五本の指に入ると歌われた銅(あかがね)の獅子、
 越前南次郎を倒したのはこの俺だ!」
「うわあああああああああああああ!」

咆哮(ほうこう)が辺りを揺るがす。
リョーマ自身、泣いているのだかなんだか分からない。
ただ、腹の底から沸き上がる激情をほとばしらせる。
同時にリョーマを中心に熱い空気が波動を呼ぶ。
桜乃は咄嗟に顔を腕で被った。












あの日、父親を最後に見た日。
曇りがちな天気が続いていたそれまでとは打って変わって快晴だった。
自然修業にもやる気が出て、リョーマは朝から気合いが入っていたのだ。

だが、父親である南次郎はいつも通り惰眠を貪り、
彼が起きたときは太陽はとっくに頂点を過ぎていた。
我が父親ながら、いや、それ以上に師匠としてこの怠惰な性格はどうかと思った。
それも、慣れてくれば自然諦めもついたのだが。

午後、「今日こそ本気で打ち勝ってやる!」と修業とは名ばかりの勝負を申し込んで
念を押した瞬間、それは起こった。
爆炎が部屋全体を揺るがした。
王都が今とても危険な状況なのは知っていた。
とは言え、ここは町の外れではあったし、
自分達はそうした世間の波とは全く無縁な暮らしをしていたから、
聞くだけで現実感はなかったのだ。

だから、奇襲なんてものが現実にやってくるなんてそれまでのリョーマには考えられなかった。


はずなのに・・・容赦なくやってきた。


状況を掴めないリョーマの前で南次郎が椅子を蹴飛ばして立ち上がり、
リョーマを床に突き飛ばす。
抗議の声は出なかった。
たった今自分がいた場所に数本の矢が突き刺さっているのが見えたからだ。
これは、本当なんだ・・・漠然とした恐怖がリョーマの体を強ばらせる。

なんていうことであろうか、自分は今まで能力者としての修業をしていたのではなかったか?
それはこういう時の為のものではなかったのか?
いざ、必要になってみれば体が動かない。
・・・そんなバカな。
対照的に南次郎はリョーマを背に、前に焔の壁を集結させる。
ジュッという何かが焼かれた音が聞こえた。
自分が考えている間にも事態は進行していくのだ。
そのことにすらようやく気づく。

「親父っ!」

叫んだつもりだった。
しかし、声は情けなく乾いて引き釣ったような小さなものでしかなかった。
足音が近付いてくる。
半壊した自分達の家を作っていた屑達がその足の下で悲鳴を上げているようだった。
誰かのシルエット。

「返事を聞きに来たぜ」
予想に反してまだ幼い声。

「ハッ、とっくに返事なら返したつもりだがな」
「その応えじゃあ、不満だそうだ。竜崎王は大層ご立腹な様子」
「そりゃ、愉快だな。何度来ても応えは同じだ。俺は絶対に竜崎王には仕えん」

毅然と言い放つ。
しかし、シルエットの人物は取り乱しもせず、ゆっくりと次の言葉を口にする。

「もう一つ命令を受けてきたんだ」
「・・・・・・・・」
「越前南次郎を勧誘すること。それがもし失敗した場合は−−−−−殺してこい、と」
「なっ!」

リョーマの声だけがこの場に響く。
当人である南次郎はむしろ冷静に「だと思ったぜ」と返すのみだった。
父親がいつの間に王とそんなやりとりをしていたのか知らなかった。
驚くリョーマを尻目に二人は戦闘を展開した。
腕に纏わせた焔を南次郎は突き出すが、敵に届く前に何かに飲み込まれる。

(氷・・・!)

敵は氷遣いだったようだ。

(相性が悪い)

二人の攻防が続いてゆく、しかし、南次郎の焔は相手に届かない。
氷が龍となり、焔を掻い潜り、南次郎の片腕に噛みついた。
一気に片腕が凍りつく。

「親父」

いつの間にかあちこちに火の手が上がり、やがて家は炎に包まれた。
加勢しようと前に踏み出したリョーマの行く手を南次郎は塞ぐ。
額には玉のような汗が浮かんでいる。

苦戦。

明白な状況に、リョーマは愕然となる。
リョーマが知っている限り、彼の不利などありえないのだ。
ぐっと胸を押されて、リョーマは後ろに追いやられた。
今度こそ本当の抗議を上げようとして、言葉を失う。
振り向いた南次郎は笑っていた。
息子を安心させるような微笑みで、「大丈夫だ」と告げる。
頼りない弟子、そうは思わせない息子として向けられた笑みが胸に痛い。

「逃げろ」

父親としての顔を見たのはひょっとしたらこれが初めてだったかもしれない。

「嫌だ・・・」

リョーマは首を振ると、震えそうになる膝を叱咤して南次郎の横に並んだ。
何度も繰り返し、馴染んだ焔の気配を内に探り出す。
腹の奥底が熱く脈打ち体の線を突き破り、焔が外に開放されていく。
が、

「馬鹿野郎、なにしてる。行け、リョーマ」

あと一歩で、戦闘準備が整うというところで南次郎に揺さぶられた。
集中して造り上げていたものが霧散する。

「でも・・・」

一人で逃げるのは、嫌だ。
目でそう訴えてみせれば

「俺も後から行く。・・・んな情けねぇ顔してんじゃねぇって」

頭に手を置かれ、軽く撫でられ苦笑された。
その南次郎目掛けて氷牙が幾本放たれる。
手刀の先に巻き付けた焔でそれを叩き落とすと、一瞬にして南次郎の体に焔が絡みついてゆく。
その姿は異名の通り、銅の獅子そのままだった。
屋根を支えていた大木が二人の間に落下し、避けたために距離が出来てしまった。
焔の壁が南次郎とリョーマを分ける。

「親父っ!」

叫んだ声は、しかし南次郎の耳には届かなかった。
もう、南次郎はこちらを見てはいなかった。
真っ直ぐ前を、敵を見据えたまま彼は叫ぶ。

「逃げろっ!」

父親一人で苦戦する相手に、自分が手助け出来るはずもない。
歯噛みしながら、それでもリョーマは二の足を踏んでしまう。

「逃げろリョーマっ!」

くっと呻くと、リョーマは踵を返した。
横目で父親の顔を目に焼き付けて。
出口に向かってリョーマは走る。
燃え盛る炎がリョーマの背中に迫る。
爆炎から燃え移った炎はリョーマの能力を持ってしても操ることは出来ない。
未熟な自分にはまだそこまでの力がない。

(チクショウ、チクショウ、チクショウ)

自分の無力さに、事態の非常さに、リョーマは心の中であらん限り叫び尽くす。
背後で轟音が聞こえるが、足が縺(もつ)れそうになろうと、限界から悲鳴を上げようと、
後ろを振り替える暇もなく走り続けた。

いつの間にか都の中を走り、薄暗い道に積み上がった木箱に体当たりしていた。
視界が歪んでうまく物を写し取れていなかったのだ。
転がったまま四肢を投げだしリョーマは空を仰ぐ。
太陽はすでに形を潜め、月がぽっかりと浮かんでいた。

淡く暖かな光り。
自分の荒い息遣いだけが道に響く。
リョーマは沈むまでずっと、月の白さを視界に写し取っていた。

次の日帰ってみれば、以前自宅だと思っていたものは既になく、
そこにはただ平野が広がるばかりで、悔しさが胸に広がる。
何もかもを失ったと、ようやく気付いたのだ。

その後リョーマは青竜に入った。
哀しみを紛らわす為、遣り切れなさを誤魔化そうとただがむしゃらになりたかったのかも知れない。
とにかく何かせずにはいられなかった。
復讐を考えなかった訳ではない。
けれど、そんなことをしても南次郎は永遠に失われてしまったまま、帰っては来ない。
だったら、これ以上自分と同じ思いをする人を減らしたいと思った。
幸せになろうとしている桃城達に明るい未来を与えたいと、そう思った。













けれど、その敵が、今、目の前にいる。








リョーマは焔を爆発させた。






あとがき

あの言葉の人物が判明致しましたって・・・もうとっくにバレてるとは思いますが(苦笑)
悔しさ、彼が抱えていた辛さはここにあったわけです。
南ちゃんごめんよ。でも、これにはまだ続きがあるので、もうちょっと待ってやって下さい。
さて、次回。
今回こんな調子で終わったので、やっぱりリョーマの情緒が不安定気味です。
焔をぶつける先はあの人。イコールVS跡部偏になるわけですね〜。
毎回読んで下さっている方、本当にありがとうございます。
まだまだ続きますが、どうぞ楽しんで頂ければ幸いです。




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