7.ただのレジスタンスでなければいいのか?







カルピンは静寂に包まれていた。
ただし、穏やかな空気ではなく、微量の緊張感に支配されていた。
広間に集まるメンバーの視線の先、毛を逆立てた猫の如く朋香が睨んでいる。


「そんなに、警戒しないで・・・」
諭すように大石が声をかけるが、朋香は桜乃を庇ったまま青竜刀を掲げる腕に力を込めた。


「なんでレジスタンスのアジトに連れてきたわけ?何が目的なの」
カルピンに着いてからずっとこんな調子で埒が明かないのだ。
大石も困り顔でメンバーを見回すしかない。


「理由は二つあるよ」
「やっぱり」と朋香が呟いた時だった。


錆びた鉄の音をさせながら扉が開く。
姿を表わしたのは、白い服に身を包み髪を逆立てた強面の少年だった。
目付きは鋭く、どこか油断ならないものを感じさせる。
銜え煙草が妙に似合っていた。


「で、患者はどこだ?」
入ってきて早々、会話の続きでもするかのように自身のペースを持ち込む突然の訪問者に
朋香は面食らう。


「そんな恐い顔で言ったら商売上がっちゃうってば」
次に入ってきたオレンジがかった明るい髪色の少年が諭すように告げる。


しかし、先の少年は「うるせー」と一蹴しただけだった。
それでもめげずに、と言うよりもどうでもよさそうに受け流して、
後から入ってきた方の少年が部屋を見回した。


「久しぶり」
気軽に片手を挙げて挨拶などしているので、どうやらレジスタンスと交流があると知れる。
その二人の少年の後から河村が姿を表わした。


「連れてきたよ。それから、途中で桃城帰ったから」
大石に告げながら、二人を中央に促した(とは言っても
二人共促さなくとも勝手知ったる様子で足を踏み入れてはいたが)。


「で、どこだって聞いてる」
苛立った様子で靴を鳴らす少年に、河村は示す。


「亜久津、彼女、三つ編みの方の子がそうだよ。あ、彼亜久津仁って言って医者だから」
後半部分を自分達に向けられて、桜乃と朋香は思わず顔を見合わせて、
同じタイミングで亜久津を見上げた。


とても医者には見えなかった・・・とは告げられず当惑していると、
後ろの少年が笑顔を向けてくる。


「あ、こんな顔してるけど腕は確かだから。まぁ、自分で確かめてね。
 で、俺は亜久津んトコにいる………」
「居候してるただの旅芸人だ」


言葉尻を取られたどころかキッパリと言い切った亜久津に、
うちひしがれたポーズを大げさにつけて


「そんな、いつもそんなこと考えてたの?」
「考えてたんじゃねぇよ。本当の話だ」
しかし、まだ名も明かせていない少年は心外だとばかりに嘆息してみせる。


「嫌だなぁ、君は自分トコの大切な薬剤師にそんな酷い言葉を浴びせるのかい?
 それが信頼表現?いくら無器用って言ってもそれはちょっと、人格を疑われるよ」
本気なのかからかっているのか判断しにくい口調で肩を竦めてみせる少年に、
亜久津は半眼でただひたすら嵐が去るのを待った。


最初の印象は亜久津と言う人が「恐さ」、今調子良く喋っている方に好印象を持っていたのだが、
この短期間の会話に見事に印象をひっくり返された。
見た目の印象正反対の二人に、どことなく好奇心がわく。
失礼だが。
いっそ、亜久津は哀れにも見えた。失礼だが。
忘れ去られて会話を繰り広げる二人を前に途方に暮れると、見兼ねた様子で乾が小声で


「亜久津と、もう一人は千石清純って言うんだ。亜久津のところの薬剤師で、
 万病の薬を探しにしょっちゅう旅に出かけている」
だから旅芸人などと不本意な名前で紹介されるのか、
とようやくどうでもいい合点がいって視線を戻すと、丁度会話が終わったころだった。


少しだけ疲れた表情で、しかし威厳を感じさせる足取りで亜久津は桜乃に近付く。
警戒心から前に立ちはだかった朋香に方眉を上げて、しばしにらみ合う。


「どけ」
片手で軽がると横によけられてしまう。


「あっ、ちょっと」
朋香の抗議の声を無視して、亜久津は桜乃の脈を取った。


「血だらけだな、その服」
血に染め上げられた桜乃の服を一瞥して、一瞬眉を顰めた後、極真っ当な医者の振舞をして、
真剣に桜乃を調べる亜久津に、桜乃も少し緊張を解いた。


動作の止まった亜久津は、二三千石に声をかける。
どうやら薬の話らしい。専門用語が飛び交っているので桜乃には分からなかったが、
なんとなく信頼してもいいのではないかと思った時だった。


「外傷なし。血液不足だ。目眩、貧血、血液の循環に支障が出る。
 それによって臓器が弱る可能性も出るな。食べ物は極力血を作るものを食べろ。
 それから煙草は禁止だ」
「・・・・吸いませんし、亜久津さんの煙草の煙の方が気になります」
「気にするな」


やはり一言で一蹴されて釈然としないものを感じるが、
それはつまり怪我の軽少さを物語っていると解釈して、そっと安堵の息を吐く。


「はい、これ薬ね、食後三回。忘れないように。俺が調合した物だからすぐ直るよ」
自信たっぷりな様子に、逆に不安を感じながら手を伸ばす。


「お大事に」
ふと笑った表情は曇り一つない優しい表情だった。
自然に心が安らぐ。


「ありがとうございます」
零れた言葉に微笑みを足して受け取った。


「あとは、いないか?」
「奥の部屋へ。不二が腕を怪我してる」


それに無言で頷いて、河村と共に奥に向かう二人を皆見送った。
完全に消えると、室内を再び沈黙が支配する。
気まずそうに朋香がまず口を開いた。


「一つ目の理由は姫の治療ってわけね。じゃあ、二つ目は?」
大石は一つ息を吸って決心したように姿勢を正した。


「君達は運び屋だと言ったね」
「そうです」
「手を組まないか?」
「…………え?」
「今回、武器が手に入れられなかったのもうちとしてはかなり深刻だ。
 それに、一つでも定着した味方………というか、援助が必要なんだ。どうかな?」
「どうかなって言われても」


商売の話が持ち出されるとは思わなかったのか、きょとんとした二人は言葉を濁す。
桜乃が口を開いた。
「私達だけではなんとも。確かに、悪い話じゃないですけど」
考え込む様子をみせるが、大石の口調は真剣だった。


「考える余地は与えてないつもりだよ。悪いけど、深刻な問題なんだ。
 君達がここでうんと言ってくれないと無事に返す保障はないことになる」


やはり。
眉を寄せ皺を深く刻んで朋香は青竜刀の柄を強く握った。
大石はその動きを止めようとはしない。
朋香が戦闘体勢に徐々に移るのも視界にしっかりと納めている。
汗が頬を伝った。
戦うことに多少覚えがあるといってもこの人数の前では確かに言われたように
無事に帰れるとは考えられない。
思考の隅で必死に考えを巡らせる。


「言ったでしょ、私達はただ従業員だもの。二つ返事で頷けないわ。そんな権限ないし。
 それに、ただのレジスタンスにボスが了承するかどうか・・・」


「ただのレジスタンスじゃなければいいのか?」
「リーダー!?」


奥へ続く扉を開けた所から、頭から青い布に身を包んだ、見かけない少年が部屋に踏みいった。
挟まれる形で焦る朋香にその少年は低く、落ち着いた声音で繰り返す。


「ただのレジスタンスでなければ交渉の余地はあるのか?」
「どういう意味・・・?」


顔を覆う部分の布を少年はもったいつけた(こちらの錯覚だというのは分かっているが)動きで取る。
その瞬間瞬間が、まるでフィルムを見ている感覚だった。
桜乃にとっては、それが確実に自分に何かを枷ていく現実だったからかもしれない。


「・・・手塚・・国光王子」
呆然と桜乃は呟いた。


「王子ぃ!?」
よほど驚いたのか、場に似合わぬ素っ頓狂な声を上げて、朋香は青竜刀を落としそうになる。


「手塚」
正体を易々と曝してしまったことに関して大石も、回りの面々も困惑した顔を向ける中、
唾を飲み込みながら桜乃はただその存在を見つめた。


そんな桜乃を見て「驚いたな」と大石は零す。
王子は正式に王位を継ぐまでは滅多に民衆の前に姿を見せないのが、
古来からのこの国の習わしだった。
とは言っても、滅多にであって、皆無という訳でもない。
それでも、一発で見抜いたものは過去いなかった。


「まさか本当に王子?」
「うん。うちのリーダーは先の手塚王のご子息だよ」


恐る恐る訪ねる朋香に、観念した様子で英二は両手を挙げる。
つまりこのレジスタンスは現王に反抗するただの集まりというわけには
いかないということになる。
背後に正当な王位継承者がいるということは、青竜は・・・。
そこまで朋香が考えた時、ゆっくりと手塚が口を開いた。


「現王に反抗する点ではただのレジスタンスと変わりはないかも知れないが、
 それでも俺がいることで現王を葬る正当な理由を得ている。
 俺には、奴に復讐する権利があるってことだ」


ゆっくりと、ただ確実に手塚の瞳が桜乃を射貫くのをリョーマは見ていた。
両者の間の空気が張りつめたものに変わっていくのを感じて、眉を寄せる。


「そうですね。あなたは正しいことをしている」
唐突に、ふっと手塚は息を漏らす。


「コードネーム『姫』か」
朋香の顔が険しくなるのを、リョーマだけはしっかりと見ていた。


「で、どうかな?手を組むのは」
にっこりと言う大石に、朋香は肩を竦めた。


「こっちも一応反政府の意志を持って運び屋をやってるし、
 お互いにとって悪い話じゃないかもしれない。
 でも、王子ってだけで後ろ楯が付いたなんて・・・」
「うわぁっ!」


突然上がった悲鳴に、朋香の言葉は掻き消された。
机の上に金糸でがんじがらめにされ、その上から札を貼り、
厳重に封印されていたはずの刀がガタガタと激しく音を立てたのだ。
誰かが息を飲む気配が伝わってくる。
条件が揃っていた。
満月が闇色の空の頂点に差しかかり、ここには越前リョーマという能力者がいる。
誰もが見守っている間も音が大きくなるばかりだ。


「ちょっ、これってちょっとマズイんじゃないのかにゃ・・」
「あ、ああ」


気持ちが先行し、体もジリジリと後退した直後、ピシリと音を立てて札に亀裂が入る。
そこから歪んだ光が溢れ出した。


「う、わわっ、何これ!?」
目に見えない圧力が全身にのしかかる。


「やっぱり、抑えられなかった」
前に飛び出した桜乃が柄に手を伸ばした。
しかし、拒むように刀は桜乃の手を跳ね返そうと電撃を放出する。


「くっ・・・」
手先にピリッとした痛みが走って耐えるように唇を噛み締めるが、
痛みに顔を顰めるばかりで一行に柄に近付けない。
一際大きな光が走ったかと思うと、桜乃の細い体が簡単に吹き飛ぶ。


「きゃあっ」
なす術もなく弾かれて反射的に体を丸めるが、予想した衝撃はやってこなかった。


「セ、セーフ」
見れば、背後からリョーマが自分の体を抱き止めていた。


床とは違い柔らかい感触に、自分の体を受けとめてくれたのが分かる。
床に座り込んだ形のままリョーマは間髪入れずに腕を突き出した。


「ドライブッ」


叫びと共に体内から腕に絡みつくようにして渦を巻ながら焔が刀に直撃した。
しかし、放出された光が焔を押し返す。


「にゃろう」
室内で威力を絞ってあるとは言えこうも簡単に返されては気に食わない。
思わず悪態を付くが、抱きしめたままだった桜乃にギュッと腕を掴まれて意識を戻した。


「30・・29・・28・・・まずい。もう少しで完全に目覚める」


刀は徐々にその存在を凶悪なものに変えていく。
刀身が伸び、刃先が鋭くなる。
その一刻一刻が死の予言であるかのような錯覚に襲われる程、
刀自身からの剣圧が肌で感じられた。
変貌する妖刀は机から自身を離し、獲物を求める様子で宙に浮き上がっていく。


「柄を捕えて!主だって認めさせれば妖刀は従います」


そう桜乃は言いながら立ち上がろうとするが、
体が痺れて再びリョーマの手の中に倒れ込むしかなかった。
桜乃が立ち上がれないせいでリョーマも動くことは出来ない。


「認めさせるって言うがな・・・」


口では簡単に言っても近付くことさえ難しいのだ。


「俺が行く」


一歩近付こうとした海堂の肩を押し止めて、手塚が妖刀へと踏み出した。
止めようと口を開いた大石に、手塚は顔を向ける。


「不思議と恐くはない。大丈夫だ」


真正面から向けられた瞳には曇りの一点も見受けられない。
それは見られた者の心に力を宿す、意志の強さを持った瞳だった。
堂々とした風格で、剣圧も風のように受け流しながら王族の血を持つ少年は妖刀の前に佇んだ。
全員が見守る中、そっと手が伸ばされる。
途端に電撃が空間に幾筋もの線を作った。


「くぅ・・・」


手塚は小さく呻きながらも引かずに懸命に手を伸ばす。


「手塚!?」


桜乃を襲った激しい光がまた、彼にも襲いかかる。
バシィッと音が部屋を揺るがせた。
それまでと比べものにならない光量が視界をゼロにするほど室内に埋め尽くされ、聴覚をも奪う。
咄嗟に腕で顔を庇うが、それが無駄なことは無意識の中で分かっていた。
しばらくして、視界に色が戻り、自分が気絶していたんじゃないかと思わせるほど
クラクラする頭を抑えて、桜乃は腕をそっと外した。
そこには、瞳を閉じ、妖刀を手中に納め、光を収束している手塚がいた。
歪んで見えた気持ちの悪い光が白く輝くものに変わる。
刀身自体が白光し、気持ちの悪さが浄化される感じだった。


「・・・妖刀に見初められた」


思わず感嘆の声を漏らすが、それこそ気付かずに桜乃は目の前の王子を見る。


「銘は?」
「・・・バールパルマリー」


その名は、古くから禁止されている言葉だった。
今となっては伝説の一つだが、その昔実在していたという悪魔の王バールパルマリー。
生き物という生き物に悪夢を与え、また与えるだけの力を持っていたという。
その邪悪な力だけを封じ込めた妖刀。
それが今手塚が手にしている刀だ。
その強大な力を見事に納めてしまった彼に、朋香と桜乃は顔を見合わせた。


「さっきの話だけど」
一つ頷いた朋香が口を開く。


「手を組むって。ボスに話してみるわ」
「それは、青竜を認めるということか?」
「あのねぇ、今の見て認めない方がどうかしてるし、
 これならあなたが例え王子じゃなくても関係ないって感じよ」
呆れた物言いの朋香に、手塚は微かに笑う。


「やっぱうちのリーダーは凄いにゃ」
なぜか嬉しそうな英二は気持ちを抑え切れないのか身軽にジャンプを繰り返す。


「それならボスとか言う人をここに呼んだ方がいいんじゃないかな?」
いつからいたのか、不二が開けた扉にもたれかかり、人差指を立てて薄く微笑んでいた。

「あー、不二ぃ。怪我はもういいの?」
「ああ、亜久津に診てもらったし、千石に薬貰ったからもう平気だよ。
 二人は奥でタカさんと治療代の話してるけど。
 で、手塚、今ここに来てもらった方が、その妖刀に関しても説明がつくんじゃない?」


つまりそれは、条件が揃っている中、刀の妖力が発揮されていないのをボス本人に
直接確かめてもらえるということだ。


「それは構わないと思うわ」
「それならどちらか一人は悪いけど残ってくれるかな」


簡単な口約束ではやはり不安も残るので、逃げられないように、
一応保険をかけたいと不二は少女二人を見た。


「それだったら、龍、行ってくれる?」
「でもさく・・・」
「私は大丈夫。それに」


きょとんと顔を向ける朋香に、桜乃は肩を竦めてみせた。


「まだ全然動けそうにないし」


今だ乗っかったままの格好で後ろのリョーマを見遣った。
リョーマは「ごめんね」と誤る桜乃に短く返事をするだけだ。


「それなら龍ちゃん、頼めるかな?」


底の知れない不二の顔に、なにか引っかかるところでもあったのか、朋香は大声で


「分かった、行くわ。でも、桜乃に何かしたら許さないからね!」
と啖呵を切ってみせた。


「ああ、保障しよう」
「あなたが確かに姫の身柄を保障したならちゃんとしてもらうから」


どこから見ても誠実さ充満で言った手塚に、厳しい口調で告げた目前のやりとりに
メンバーは疑問符を浮かべるが、朋香はそれ以上なにも触れず、
青竜刀を腰に据えて出口に向かう。
海堂がそっとドアを開けた。
驚いて立ち止まる朋香を余所に、海堂は手塚に向けて


「一応監視は必要です」
「なっ。別に逃げたりなんかしないわよ」
癪に障ったらしく地団駄を踏むが、海堂は朋香に向かって嘆息して


「道わかんのか?」
「へ?」
「このスラム街の抜け道知ってんのか?」
「あ・・・・・分かったわよ。特別にお供を許可するわ」


やや赤面しながら自棄っぱち同然で腕を組み合わせてから、二人はカルピンを後にした。
桜乃は二人が消えた扉を見ながら「ふぅ」と力の抜けた息をはく。


「ふぅ、じゃない」
背後から響く声にはっとなる。


「重いし」
「あ、ご、ごめんなさい」
「あと嘘でしょ?」


慌てる桜乃の手首を掴んでぶらつかせる。


「嘘ついてでもあいつは助けたかった?」


ぐっと力を入れようとしたリョーマの手を振り解いて桜乃は胸の前に引き寄せると、
やや鈍い動作でリョーマから離れた。


「もう大丈夫なの?」
屈みこんで目線を合わせる英二に桜乃は「あ、はい」と返すのを見ながら
リョーマも立ち上がろうと腕に力を入れるが


「ってぇ」
床に腰を打つけたらしく、鈍い痛みに顔を顰めた。


「あ、ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」


耳聡く聞きつけた桜乃が長い三つ編みを振りながら屈んで自分に手を伸ばすのを、
リョーマはぼうっと見上げる。
本気で申し訳なく思っているらしく、その顔は真剣だ。



(なんだかな)



少しだけ息を吐いてその手を掴むと、再び腕に力を入れ立ち上がるが


「きゃあ」


当然少年の体重を少女が支えられるはずもなく二人してまた床に戻る羽目になった。
しかも桜乃の体重を受けとめ痛む腰にまた打撃が走る。


「ご、ごめんなさい」
桜乃は慌てて退くが、リョーマは呻くことしか出来なかった。


「まったく、無茶をする」
「乾先輩」
横からぬっと現れた乾がリョーマの腕を掴んで引き上げた。


「・・・ども」
囁くような小さな声で返すリョーマに、彼は脇に抱えていたノートを開いてペンを取った。


「本当に能力者だったとはね」
「悪いっすか?」
「焔か。なるほどね。今後のデータ期待できそうだ」
「俺はっ!」


薄く笑いを浮かべながらペンを走らせる乾に弾かれたようにリョーマは叫び声を上げていた。
図らずも全員の視線が集まる。


「なんだ?」
「俺は。俺は能力を使う気はなかった」
「便利だろうに、なぜかな?」
「・・・・・」
ただ待つように眼鏡を押し上げた乾に、リョーマは無言で唇を噛み締める。


「あ、あのッ」


皆が見守る中、桜乃が乾に身を乗り出す形で詰め寄る。
いきなり上がった可愛らしい声に二人はきょとんとして見た。


「あの、今回は仕方なかったってだけで、本当なら使わなくてもよかったんですよ。
 能力者だって明かさなくても今まで平気だったわけだし。
 でも、なんだか成りゆき上そういう羽目になっただけで本当・・・あ、ごめんなさい」


つい勢いで言い出した為に自分でも途中から何を言っているのか分からなくなったのか、
最後はなぜか涙を溜めながらリョーマの方へ振り替えって勢いよく頭を下げた。
三つ編みが、下がった頭に追いつこうと軌跡を作るのをなんとなく目で追いながら、
何を言っていいのか分からず、とりあえず生返事を返す。


「あの、つ、つまりですね、なにが言いたいかって言うと」
肺一杯に空気を吸い込み


「彼の能力に頼らなければいけないほど青竜は弱いんですか?ってことです」


言い切ってさっぱりした顔で、その実かなりの侮辱を吐き切った桜乃に、
乾は唖然と口を開けて見た。
なんの反応も返されず不安そうに視線を巡らせると、目が合った英二が堪え切れずに吹き出した。


「こら、英二」
「ご、ごめ、だってさ大石。ぷっ」


肩を震わせて笑う英二に大石も困った顔をしただけでそれ以上窘めない。


「そうだね。一理ある。越前にどんな事情があるかは聞かないでおくよ。ね、乾」
「あ、ああ」
心なしか楽しそうな表情で不二は続ける。


「俺達は今まで越前の力なしで十分生き延びて来れたわけだし。
 必要ないといえばそうだし、越前一人だけにいい格好はさせられないしね。でしょ、乾」


ため息を一つ零して
「ああ、分かった。データはまたの機会にする」
両手を上げて降参のポーズを作ると、皆もそれに了承の合図を送る。


「で、姫ちゃんどうしようか」
「とりあえずその服着替えた方がいいと思うな。見るに耐えないし。
 上の部屋に何かあったよね。越前、連れてって」
自分に振られたことに少し驚いたリョーマは眉を寄せる。


「は?なんで俺が?」
不二は立てた人差指を口元に持っていくと、ふふっと笑う。


「仲良さそうだし」
「は?」


まともに取り合ったらこっちが疲れることは分かっているので、
憮然としながらも不承不承頷いた。
桜乃に「こっち」とやる気のない仕種で示す。





扉を閉めると、途端に静かになった。
扉越しに聞こえる声はくぐもっていて静寂を破るに至らない。
階段を上がり、二階の廊下を二人は無言で歩き、リョーマが一枚の扉の前に立つ。
そこはこざっぱりした狭い部屋だった。


「ここで待ってればいいの?」


誰かが仮眠でもする場所なのか、部屋には壁に据えられたベット一つと、
その横に小さな棚が添えられているだけだった。


「座れば?」


扉の鍵を閉めて、リョーマは促す。
それに従おうとして、桜乃は下ろしかけた腰をまた上げる。
意味が分からず見守るリョーマの前に、桜乃はにっこりと笑って向き合った。


「名前」
「は?」
「名前、教えてもらってなかったよね」
「あっ・・・」


脳裏に桜乃が倒れる様子がフラッシュバックのように浮かんだ。
自分の顔を凝視する彼に、「でしょ?」と付け足してみせる。


「教えてもらえますか?」
「・・・・・越前リョーマ」
「リョーマくん、か」


リョーマは棚を漁り一枚の服を取り出すと、ようやく腰を下ろした桜乃の頭に放った。
降ってきた服に視界を塞がれて慌てて剥がす。


「俺の服だけど。それ着て」
「あ、ありがとうございます」


少し大き目の服を置いて、桜乃は自分の服に手を掛ける。
上げようと力を込めたところでその動きが止まった。


「あの・・・、出ていってもらえますか?」


さも当然のように、ドアに陣取るリョーマは、逆に怪訝な表情で桜乃を見る。


「あんた人質でしょ?」
「そ、そうだけど。でも・・・うう・・・」


本気で参った顔で上目遣いで見られて、リョーマは嘆息すると、桜乃に背を向けた。


「ありがとう」


見えないけれど、声の調子から微笑んだのが分かって、本当に、ほんの一瞬だけ、
リョーマに残念という言葉が掠める。
背後でする着擦れの音がやけに耳に残った。


「もういいよ」


振り返って見えた桜乃の顔はやはり笑顔だった。
ベットに腰を下ろす桜乃の前を横切って、リョーマは窓を開ける。
吹き込む心地のいい風に前髪を撫でられながら窓辺に腰かけた。


奇妙な縁だ。
横目で桜乃を盗み見ながらリョーマはそう思う。
ついこの間、しかも決していい出逢い方をしたわけでもない少女とこうして、
同じ空間を共有している。

奇妙だ。
落ち着いている自分がいる。
律儀に畳んで置いてある血に染め上げられた服。
きっと洗っても落ちない。


「あんたさ」
「なに?」
「お節介だよね」
「・・・・・」


一瞬目を見開いて固まった桜乃は、頬を抑えて、眉を歪ませた。
自分とは違う豊かな表情。


「俺の前で、死なないでよね」
「・・・え・・」


ふっと、窓の外へ視線を投げながらリョーマは言った。
それは、労るような相手を想った響きでも、命令する声音でもない、
あえて言うなら縋るような口調だった。
だから、時々桜乃は思う。
目の前の少年が、幼い迷子の子供なのではないかと。
それでも、桜乃はその言葉に何も返さない。
リョーマも何も言わないまま、部屋には沈黙が占めた。
涼しげな風は、そっと二人の間を通り抜け、どこかに消えていく。
静かに、ただ静かに。





第一部end







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