6.「バカッ」









「桜乃………」

眼前の光景に、朋香は呆然とした。
滲む涙と共に徐々に親友の姿を認識して、溢れるものを止めることが出来なくなる。

「桜乃っ、桜乃桜乃ォォォー………」
「龍ちゃん!」

駆け出そうとした朋香を慌てて英二が止めた。
抱き込む腕を離そうと躍起になる彼女を押さえて、彼もまた倒れた桜乃とリョーマを見遣った。

「こんな、の………」
悔しそうに固く目蓋を閉じる。

直視出来ない。

「離してっ。桜乃のとこに行くんだから」
「ダメだっ……ダメだよ………」
忍足の攻撃がまだ止んだわけではないのだ。

「変だ」
不意に不二が零す。

彼は悲嘆な顔つきではなく怪訝な表情で血に濡れた光景を見ている。
意味が分からなくて英二も二人へ視線を戻すが、「変わった所など一つも………」
そう言おうとして、言葉は喉の奥に引っ込んだ。

おかしい。
リョーマの反応があまりに予想外だ。
乾いた表情でただ胸に抱いた桜乃を見つめるだけなのだ。
怒るでも、悲しむでもない。『無』だ。

「えちぜ……」
「ねぇ、不二。気温上がってない?」

英二の言葉にはっとなる。
確かに、乾燥地帯特有の寒さが、いつの間にかなくなっている。
それどころか、徐々に肌に汗が浮かぶ。


(熱い………)


今日に限って異常な熱帯夜ということがあるはずもない。

これは


「まさか、越前!」
視線の先、放心状態のリョーマの体から熱を持った蒸気が溢れた。




    ◇◆◇◆◇




(なぜ、こうなるんだろう……)




自分を庇って?
そんなこと誰も頼んでないのに。



そうやって、皆満足して通過していく。
自分をこの世界という檻の中にやんわりと縛り付けて。



そんなのは自己満足だろう?



「余計なお世話だよ」



掠れた言葉が口をついて出る。
体が異常なほど熱かった。
気持ち悪いくらいに、否、心地よい感覚。
そうだ、全部出してしまったらいい。もう、なにも価値なんてないんだから。
体の奥で疼く何かに、リョーマは素直に従う。
途端に体中から能力の源の熱が溶け出す。
全てを溶解へと促す力が越前リョーマの殻を破って洩れ出すのに身を任せた。





     ◇◆◇◆◇





リョーマを中心に気温がどんどん上昇していく。
肌を焼く感覚に、不二は舌打ちした。
視線の先、焔が二人を包む。
さっきから近付こうと手を伸ばしても焔の壁によって阻まれてしまう。

「このままじゃ、マズイ。どうにか止めないと」
能力者のことはよくわからないが、これが異常なことだけは分かる。
このままでは、自分達も、あの場にいる桜乃も、
能力を使い過ぎるリョーマもどうなるか分からない。

「どうやって!?」
もっともなことを叫んで、無謀にも焔の中に飛び込もうとする朋香を英二が抑える。

「とにかく越前を正気に戻すんだ」
「だからっ、どうやってだよぉ」
範囲を広げて、迫る焔から後退しつつ英二は情けない声を上げた。

「越前っ!」
「叫んだって届かないよ」
苦虫をかみ潰した顔で不二は歯噛みするしかない。


その横を、人影が駆け抜けた。


「えっ ―――」
驚いて目を見開く先、人影が焔の中に消える。

「遅くなってすまない」
聞こえた声に振り向くと微笑んだ大石がいた。
「もう、大丈夫だ」と冷静に告げるその表情に救われる気持ちで、不二は頷く。

「今のは桃城?」
「ああ。とりあえず水があるから被ってくれ。海堂」
「はい」

後ろから現れた海堂はバケツを三人に渡した。
それを頭の上で逆さにして全身を浸らせる。

「もう、遅いよ大石。どーなるかと思ったんだからね」
相方が来たことで、いつもの調子が戻った英二は頬を膨らませて、理不尽な不平を漏らした。

「だからごめんって。待ち合わせ場所になかなか来ないと思ったら、
 まさかこんなことになってるとはね」
「桃城は………」
焔を透かし見るように目を細めながら不二が呟く。

「あいつなら、大丈夫っすよ。こんなとこで死ぬ奴じゃない」
当然とばかりに言い放つ海堂に、不二も苦笑を漏らす。

桃城は自分達と違ってここで死んでいい人間じゃない。
簡単に死を選んだりせず、なんとか足掻くだろう。


(じゃなきゃ、「幸せになって欲しい」と言った越前が自ら殺すことになる)



それは、なにを狂わさずに済むんだ。



不二は血の滲んだ唇を噛み締めた。




     ◇◆◇◆◇




「っんのバカッ!」



全身に水をぶっかけ、焔の中、リョーマに辿り着いた桃城は襟首を掴んだ瞬間罵倒した。
引っ掴むと乱暴に体を揺する。

「なにしてんだよ。お前、俺達を殺す気か!?」
怒りに任せて、頬を殴った。

「………ってぇ、桃…先輩……」
ぼんやりとした意識の中、リョーマは桃城を見上げた。

殴られた頬を抑えるが痛みはない。
許容範囲を超えた能力が治癒力を高めているせいだ。

「やっと気付いたのかよ、このバカ、完全バカッ、救いようがねぇな」
再び襟首を掴む。

「気付いたならなんとかしろよ、この焔」
はっとして回りを見回すと、自分達の回りを業火が囲んでいる。

「その子も、このままじゃヤバイだろぉが」
強い生命力を感じさせる瞳で睨み付けられて、ようやく自分がしていることに気付いた。

「俺……死のうとした…………」
「ああ、そうだな」
「桜乃が飛び込んできて、俺を庇ったから」
「そうか」
「目の前で、俺なんかを庇って、死 ―――」


「死んじゃいない」
「えっ………?」


桃城の声に弾かれたように顔を向ける。
脈を確かめながら、桃城は桜乃の頬を叩く。
途端に呻き声を桜乃は上げた。

「大丈夫か?意識あるか?」
仕切りに呼びかける桃城の声に、桜乃の目蓋はうっすら開いた。

唖然としている先で、桃城は桜乃の傷を見遣る。
腹部は真赤に塗られていた。が、傷がない。
失血量で、致命傷を負わされたことは分かるが、肝心の傷は塞がっていた。

「たぶん、お前のそれだよ」

殴られた痕跡が全く見当たらないリョーマの頬を指した。
空間に溢れた力に交じった治癒力が、焔の中心にいた桜乃を癒したのだ。


「生きてた」


安堵なのか驚きなのか、目を丸くしたままリョーマは呟く。


「ああ、良かったな。だから早くどうにかしろよ」
術者が正気に戻ったというのに能力だけ意志を持ったように増加し続ける。

リョーマは目蓋を閉じて両腕を伸ばし、手を左右に突き出した。
途端に焔が腕に絡みつく。
肺一杯に空気を吸い込み、細く長く吐き出す。
空気を浄化するようなその呼吸に、桃城は神秘的なものを見た。
閉じた目蓋を伏し目がちに薄く開けて、言葉を発する。




「戻れ ――――」




能力者の発する特別な意味を持つ言霊が、空気に溶けるのに比例して、
巻き付いていた焔がリョーマの体に消えていく。
額に汗が浮かんだ。


(全部回収できるか?)


ここまで制御せず出したのは初めてだ。
過去、こんなふうに力を出したときは制御を助ける奴がいたから成功していたのだが、
一人で、しかもここまでの力を相手にするのは挑戦にしても無謀だ。



でも・・・



  やるしかない。



もう一度自らの焔を睨み付けながら肺に空気を吸い込む。
汗が目に入って視界が霞んだ。
それでもこの作業をするのには目を開いていなければいけないのだ。自然と焦燥感が募る。


その視界にふっと影が差した。
額に冷たい感触。いつの間にか起き上がった桜乃がリョーマの汗を抑えていた。
集中が途切れそうになるが、桜乃はそれを悟ったように小さく言う。

「大丈夫、続けて。焔を見つめてあげて」

透明な声音はリョーマの意識を安心させた。
それ自体が呪文であるかのように神経が集中していく。
桜乃に向けそうになった視線を焔にやったまま、リョーマはもう一度呟いた。


「戻れ ―――」


もし言われなければ桜乃を見ていたかも知れない。
能力を回収する際、他のものに目線を奪われることは術者にとって命取りだ。
体から極端に離れてしまった能力は強力であればあるほど意志を持つ。
一瞬でも桜乃を見ていれば、嫉妬した焔はリョーマを焼き殺していたかもしれない。
徐々に薄れていく焔に、桃城は安堵の息を吐く。
焔はリョーマに絡み続け、そして、完全に姿を消した。

「消え、た………」
脱力した朋香の声が耳に届く。

「消えたぁぁぁぁぁ。桃ー」
リョーマ達を隔てる壁がなくなったことで、お互いの生存を確認して、
感極まった英二が両手を降っていた。

「やったな、桃」
相変わらずの好青年っぷりで微笑む大石へ向かいながら、ようやく肩の荷が下りた顔を向けて

「へへ、言ったでしょ。なんとかなるって」
両手を合わせれば、気持ちのいい音が響く。

そんな回りのやりとりを余所に、リョーマは深い息をついた。
初めての試みだというのに、上手くいって、調子に乗るよりも


「成功、した」


信じられなかった。
自分一人の力でやり遂げた気がしない。


(あいつに助けて貰った時と同じ感覚だった………?)


訝しんで両手を見下ろす。
無垢な腕には焼け焦げの一つもない。

「良かったね」
額からそっと手を離し、微笑む桜乃に目を向けてはっとした。

顔色が悪い。
傷が癒えたからといって失血がなんとかなったわけではないのだ。
そこに考えが至った時、肯定するように桜乃の体が傾ぐ。
それを両腕で支えて立たせてやる。

「………ごめん」
俯いたまま、リョーマは聞こえないように口の中だけで呟いた。

「姫ー」
朋香がこちらに走ってくる。

「龍、ごめんね」
「バカッ、何が「ごめんね」よ。バカッ、冷や冷やさせないでよ」
ふらつく桜乃を朋香は包み込むように抱きしめた。

「死んだらダメなんだからっ!!」
涙混じりの声に、桜乃も「うん」とだけ返して、朋香の肩に頬を寄せた。

寄ってきた不二にリョーマは顔を向ける。
無言で責められている気がして気まずい。

「忍足とかいう人は君が暴走した時点でどっかに消えたから安心しなよ」
「……………っス」
目線をそれとなく外してリョーマはそれだけ言った。

「さ、その子(桜乃を指して)にはちょっとキツイかも知れないけど、窓から出るしかないかな」
「大丈夫です」
決然と言い放つ桜乃を無言で海堂が背負う。

「あ、あの」
戸惑う桜乃を無視して「大丈夫っす」と言う海堂に苦笑して、大石は塔を出るように促すと、
塔を出た面々は、塀の外にいた乾のダンプに乗り込んで桜乃と朋香ごとカルピンへと急いだ。










そのダンプを見下ろしながら、倒壊した塔の上で忍足は月明りに晒されながら眼鏡を押し上げる。


「桜乃、か。あれが、桜乃ね」


逃げる一行を見送って興味深そうな視線を送る。

「忍足、これはどうなってるんだ!?」
バタバタと足音をさせて小太りの屋敷の主が部屋に駆け込んだ。
後方から、五人の部下が入るなり部屋の様子に息を飲む。
ゆっくりと、もったいつけるように振り替えって、忍足は鷹揚に両手を広げてみせた。

「どういうって、こういうことですわ。
 レジスタンスの襲撃によりあなたのコレクションはメチャメチャ。
 もう使いもんにも、飾りにもならんですよ」
「なんて、ことだ………」
茫然自失に屋敷の主はへたり込む。

その姿は屋敷の規模には似つかわしくないほどちっぽけだ。
なんとか笑いを堪える忍足には気づかずに主ははっとして顔を起こす。

「れ、レジスタンスは捕まえたのだろうな」
蒼白な顔の男に、忍足は指で示してみせた。

「逃げられまして。ほら」
ダンプが消えて行くのがかろうじて見える。

「お前、大層な金を注ぎ込んで雇ってやったというのに、
 まんまと失敗するとはとんだ見込み違いだ。もう一人は?」
ようやく思い出したように、手を打って、足下に転がる武器使いの能力者を蹴って、
主の面前に転がす。


「ここです。ああ、可哀想に殉職ですわ。まぁ、もっとも、殺したのは・・・



  ・・・・・・俺ですけどね」



にっこりと微笑むその姿はまるで聖職者のようだ。
しかし、発せられた言葉は正反対に危険を漂わせる。

「き、貴様っ」
無様にも声を裏返らせる主に忍足は穏やかに言う。

「大層な金っていうのはあの端金のことですか?」
「あ、主はわしだぞ」




「へぇ、そりゃ初耳だぜ」




突然の聞き慣れない声に、背後を振り替えると、
五人のうちの一人の部下がバカにするように笑い飛ばしていた。

「なっ、お前」
今まで自分の身辺を世話していた部下の奇行に驚く主に、その部下は侮蔑の眼差しを向ける。

「お前が主ぃ?どこの小山の大将なわけ?ちょっと勘違いしすぎなんじゃねーの?」
「あんまり言うたら可哀想やろ、岳人」
「だってよ、侑士。いい加減飽きたんだよ。この茶番劇」
気安く声を掛け合う二人に挟まれて、主と部下四人は交互に見回す。

「ほな、早よ終わらせるか?」
「ほい、決まりっ」
微笑むと二人は同時に動いた。

忍足の放った風が主の首にかかる。
岳人と呼ばれた少年は腰から取り出した鎖を四人の部下目掛けて放つ。
鎖の先についた鋭い牙が四人の体を貫く。


それで終わりだった。
一瞬後には五体の死体が地面に転がった。それだけだった。



「俺らの主はあいつだけや」



転がった首を冷たく見下ろして、忍足はつぶやいた。

「で、本当に逃がしたのかよ」
忍足の方まで歩くと、外を見下ろして岳人は言う。

「まぁな。あっちにも能力者がおってな」
「はぁ!?ったって、侑士だったらそんな奴簡単に………」
「いや、俺では手に負えんかった」
岳人の顔が険しくなる。

「お前に手に負えないって」
「ああ。あいつ並や」
もう用はすんだとばかりに部屋を出ようと足を伸ばす。

「これ、このままでいいのかよ」
もと主の首を蹴り転がす。

「ああ、もともと用済みな男やから。岳人、城に戻るで」
「へいへい。報告ったって、俺つまんなことしかしてないのによ」
「さよか、俺は ―――」


もう一度だけ外を振り替えって、忍足は笑う。



「二つほど、面白い報告ができそうやわ」




 その後、この屋敷はレジスタンスの襲撃により全焼したという記事が国中に広まった。








あとがき


ここまで読んでくださってありがとうございました。
第一部は次で終わりです!!




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