<side3:triangle>







「ったくもう、桜乃ったらちっとも帰ってこないんだから」


苛立ちを露に、朋香は地面をダンダンと音を立てて踏みつける。

数時間前にふらっと外に出ていったきり、このカルピンに姿を表わさないのだ。

カルピンが存在するのは雑多なスラム街の中なのだ。
つまり、一度外に出れば治安は保障されていない。


「心配してるっていうのに」


地面を踏むのにも、玄関の前で仁王立ちするのにも飽きて、
近くにあったソファに腰を下ろした。

それでも足を組んで肘を付いてその上に顎を乗せながら不快さを全面表示。
ぶすっとした顔で一点を凝視した。


(まるで空回りしてる)


視線を玄関の扉にやったままキツク眉根を寄せる。

自分たちを絡める運命全てが、自分にとっては空回りでしかない。

そんな気がする。

あの雨の日、桜乃を守ると決めたあの時から今現在、
自分はどこまで前に進めたのだろうか。

背もたれに体を預けて溜め息一つ。


「あっれー、龍ちゃんじゃない。何してんの?」


奥の扉が開いた途端にやってきた騒がしい声に、朋香は目を向けた。


「朋香。作戦じゃないときは朋香です。菊丸さん」


朋香の向いのソファに腰を下ろして


「うん、朋香ちゃんなにしてるの?」

「暇してますよ。桜乃が帰って来ないんだもん」

「桜乃ちゃんどこ行っちゃったの?」

「さあ・・・」


不機嫌な様子に気付いて、英二はテーブルに乗っていた饅頭を朋香に笑顔で差し出した。

一瞬だけきょとんとした朋香は渋々それを受け取る。

満足そうに笑って英二は自分用の饅頭を高く放り投げて口でキャッチした。


「曲芸みたい」

「んにゃ?そう?こんなの誰にでも出来るよ。朋香ちゃんもやってみたら?」


「ほら」と催促されて、朋香も高く放り投げた。
綺麗な軌跡を描きながら饅頭は朋香の口に見事落下する。


「ね?」


にっこり笑われると少しだけ照れくさかった。

どこか懐かしい気分にさせられるのは日溜まりみたいな雰囲気のせいなのだろうか?

そんなことをぼうっと考えていると、じっと英二がこちらを凝視している。


「なんですか?」


小首を傾げた朋香に英二ははっとしたように目を見開いて、ぎこちなく微笑む。


「なんか、懐かしい気がしたんだ」


今度は朋香の方が目を見張る番だった。

それは先刻彼女も感じていた感覚そのものだ。

くすっという溜め息と共に肩の力を抜いて


「それ、私も思ってましたよ。なーんか英二さん見てると懐かしいなぁって」

「そっか・・・、ねぇ、どっかで会ったってことないかな?」


数秒の間の後、表情を引き締めた英二が真剣な瞳を向けた。

聞いていることはなんとも間の抜けた問いだが、朋香は茶化してはいけないと悟る。


「さぁ。私は覚えていませんけど」

「そうかぁ」

「それが?」


乗り出していた身を退いてソファに沈む姿を見れば、怪訝な思いを浮かべてしまう。


考え込む様子を見せた英二は、苦いものをかみ潰したような笑みで

「記憶、ないんだ」

「・・え・・・」

「なんかの事故に巻き込まれたらしくて、半年前からの記憶がさーっぱり。
 気付いたら亜久津んとこいたんだ。通りかかった大石が助けてくれたんだって」

「そうなんだ」


なんと言って良いものか解からず困惑する朋香に、英二は優しく微笑みかける。


「そんな顔しないで。別に今のままでもけっこう充実してるし。
 全然気にしなくってもいいんだよ」


うっと朋香は詰まる。気を遣うつもりが遣われてしまった。


「べ、別に気になんてしてませんよーっだ。ただ」

「ただ?」

「思考の本当にこれっぽっちの片隅の方だけなら気に留めておいてあげるから」

「・・・・・・・・・・・うん」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・えっと」

「なに?」

「トイレ!トイレにでも行ってこようかしら」


隠し切れない頬を染めたまま勢い良く立ち上がる。


「へへ。ありがとう、朋香ちゃん」


背を向けてしまったので分からないが、声の調子で微笑ましく
見送られていると解かってひたすら照れくさくなった。

扉を閉めて背にしたまま嘆息してしまう。


「言ってくれたところ悪いけど、詮索はしないで貰えるかな?」

「大石さん」


いつの間にいたのか大石がこちらを見ていた。

透明な眼光が朋香を見据える。

違和感。


「どういうことですか?」


その正体を掴もうと、負けじと真っ向から視線を受け止めた。


「英二は今のままでも十分だ。わざわざ嫌な過去を思い出すことはない」

「嫌な過去?・・・なんだか、知っているような口振りですね」


見据えた朋香の視線を受けても大石は沈黙だけ返す。

視線は、じっと天井を見ているが心はどこか違う所を見ているようだった。


「なんで・・・なんでよッ!信じられない、じゃあ知ってて黙ってるってこと?」


朋香は思わず殴ろうとさえ思ったのだ。

それに値するだけの非道を、清廉潔白を絵に描いたような少年はしている。

ここで朋香がそれをしても誰も非難する人間などいるはずもない。

・・・・ないのだが、なぜか掲げた拳を振り下ろすことが出来なかった。

顔を見た瞬間、止まってしまった。


「・・・なんで、なんでよぉ」


戸惑いを隠し切れない声に、大石は大人しく閉じていた目を開ける。

今だ拳は宙に浮いたまま、朋香は続きを言えなかった。

殴られても仕方がない。と、顔は語っている。ならばなぜ英二に告げない?

言えばわざわざそんな辛い顔をしなくてすむのに。

ゆっくりと、だがしっかりと大石は朋香の拳を自らの手で包んで下ろした。

握ったまま、逆に穏やかに笑って見せる。


「臆病だからね」

「なにがよ、英二さんは過去がどうであろうとそんな弱い人じゃない」


なにかを抱えて笑む大石を見るのは辛かった。

けれど、顔を背けたくはない。

大石は首を横に振る。
動作が一つ一つゆっくりで丁寧に見えるのは、
もったい付けられているみたいでもどかしい。




「僕が、だよ」




その顔があまりにも台詞に似合わなくて、心が締め付けられた。

諦めているわけでも、辛そうなわけでも、卑屈なわけでもない。

穏やかに、ただ穏やかに。

そっと離れた手の温もりが、名残惜しく感じてしまう。

自分の方が心細くなる錯覚に、朋香は唇を噛み締めた。


「・・・・・」


なにか言ってやりたいのに、その言葉も思い浮かばなかった。


「君は嫌な予感がする」


警告でもない、どこか、期待するようなニュアンスを込めて、大石は扉を開けた。

「大石」と無邪気な英二の声を残して、扉は閉められる。

朋香はその場を動かなかった。

口内には噛み締めたせいで滲んだかすかな鉄の味。

あんなに仲の良さそうな二人の声。

大石が騙しているのか、英二の過去が知らない方がいいものなのかまだ分からない。

自分に何が出来るのか見極めなくちゃいけない。

なぜか、他人事のような気がしなかった。

朋香は踵を返して勝手口へ向かう。

少し、スッキリとした空気を吸いたかった。








<あとがき>

朋ちゃんを活躍させようと、じゅんは企んでいるわけですよ。
朋ちゃんと英二の関係は黄塵の都の、本当の意味でのサイドストーリーなのですよね。
ただ、この二人恋愛がどうとかに発展するかどうかはまだ分からないですよ〜ふふふ。
次回、朋ちゃんと海堂ほのぼの祭りです(笑)




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